ryuQ HOME > 琉球百科シリーズ

2007年08月13日

海洋博は招くよ/カンポーぬ喰えぬくさー/那覇ブルース

海洋博は招くよ/カンポーぬ喰えぬくさー/那覇ブルース
海洋博は招くよ/カンポーぬ喰えぬくさー/那覇ブルース海洋博は招くよ
(マルフクレコードKF-215 1973)

♪海洋博は招くよー サーサ皆おいでよ沖縄へ

ラジオから流れる、饒辺愛子の透きとおるような声。日本復帰から海洋博、72年から75年、街は民謡であふれていた。祖国に復帰しても豊にならない生活。もしかしたら沖縄国際海洋博覧会は沖縄を国際的に認めさせることができて、さらに生活も向上するのではという庶民の儚い夢は、海洋博の蓋を開けたとたん崩れ去る。経済の反動は音楽に真っ先に跳ね返った。雨後の竹の子のように増えた民謡クラブは消えていき、ラジオの民謡番組も少なくなっていった。饒辺愛子歌う「海洋博は招くよ」はラジオで連日のようにリクエストされ、昼夜なく流れていた。それが1975年7月20日、海洋博が始まったと同時にピタッとリクエストがとまった。


海洋博は招くよ/カンポーぬ喰えぬくさー/那覇ブルースカンポーぬ喰えぬくさー
(マルフクレコード FF-70 1975)

 海洋博が始まって流行りだしたのが「カンポーぬ喰ぇぬくさー」(歌・でいご娘)だ。戦後30年、艦砲射撃の喰い残しのウチナーンチュ(戦後生き残った沖縄人)が、もう戦争はコリゴリだとうたう。考えてみるとこの間の民謡には、これほどあからさまに反戦を歌った歌はなかった。少なくともこれほどのヒット曲はなかった。何故この時期なのか今もって私の疑問のひとつである。ともあれ、復帰前から沖縄の中で沖縄音楽=民謡ブームが起こり、海洋博の開始と同時に衰退へと向かっていったように見えたとき、先ず気を吐いたのがこの「カンポーぬ喰ぇぬくさー」であった。沖縄ならではの現象といえそうだ。

♪我親喰ゎたる あぬ戦争
 我島喰ゎたる あぬ艦砲

でいご娘のコーラスがラジオから流れて、近所のおばあさんが涙を流しているのを目撃したことがある。何故この時期であったのか。

そして、もう1枚……

海洋博は招くよ/カンポーぬ喰えぬくさー/那覇ブルース那覇ブルース
(キングレコード NSC-661 1976)

 沖縄を題材に、うちなーんちゅが歌う沖縄の演歌。これも海洋博を境に一つのジャンルの確立があったように思えてならないが、この辺もよく検討しておく必要はありそうだ。もしかしたら民謡人口よりも多いかもしれない演歌人口において、やはり沖縄の地域性を題材にしたときより伸び伸びと歌えるのだろうか。今でも一線で歌い続ける朋里會子(友理江子)の当時のレコードを聞くとき、時代性が凝縮されていると感じる。

海洋博は招くよ/カンポーぬ喰えぬくさー/那覇ブルース
筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
島唄カフェいーやーぐゎーHPhttp://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/


同じカテゴリー(ryuQ100歌・小浜司)の記事

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

Copyright(C)2025/琉球百科シリーズ:ryuQ All Rights Reserved.