2007年10月22日
ryuQ100花・10月号『まんず・万寿、菊酒のはなし』

中国では、古来より奇数を陽数とし、月と日が同じになる日をめでたい日、とする思想がありました。例えば、1月1日正月、3月3日ひな祭り、5月5日端午の節句、7月7日七夕、9月9日重陽の節供です。11月は10の数位以上なので含みません。(ちなみに11月11日は「世界平和祈念日」だとか)特に、重陽の節供は、九が重なることから重九→重久→長久に結び「健康・長寿」を願う日になっていったようです。
また、それぞれの節供には「おしるし」のように植物が附属されています。
ひな祭りの「桃」、端午の節句の「菖蒲」、七夕の「竹」、そして重陽の節供には「菊」が添えられ、「菊の節供」といわれる所以になっています。
その「菊」は、観賞用になる前は、不老長寿の薬用植物、今風に言えば、アンチエイジングな植物として用いられた植物だったといいます。なんて崇高な花なんでしょう。
ただ、菊は、供花のイメージが強すぎてアレンジが難しいと言われる花です。
恋人からもらった花束が菊だったので愛を疑った、という女性もいるほど。
実は、私にも菊にまつわる苦い思い出が有ります。
私の通っていた幼稚園では、園児一人一人に「おしるし」といって、花が宛がわれていました。かばんや絵本袋から靴、靴下、帽子、水筒、弁当箱にいたるまで、あらゆるものに「おしるし」が記され、一度決まれば、卒園までの三年間、ずっとお付き合いしなければならないのです。
で、入園式に下された私の「おしるし」が、「菊」。
3歳児の頭でも、かなりショックだったらしく「カトリックなのに菊かよう!地味すぎっ!」と、先生に詰め寄った記憶があります。愛らしいチューリップや絢爛なバラ、清楚なユリの花に囲まれた地味な幼稚園時代は、三つ子の魂…ではないけれど、トラウマになって残っていました。しかし、卒園から40年近く経ち、世の中に「アンチエイジング」の言葉が連呼される度に誇らしく思うのです。私と「菊」の関係が。
今や「菊」を栽培し、食事のみならず、フラワーアレンジにガンガン登場させるほど関係が修復されました。
さて、話が反れているようですが、先の話は続いているわけで、中国からの流れが強い沖縄。
私達の祖先は、他所の文化を溶け込ませる事に長けていたようです。
重陽の節供も然り。沖縄なりに発展・進化させてきました。
旧暦の9月9日の重陽の節供は、「家族の健康と長寿」、「国の発展と安泰」を祈る日としました。各家庭では、ヒヌカンや仏壇に菊の葉を三枚浮かべた酒を供え「家族の健康祈願」をし、また、各集落の御嶽では、「集落の発展と安泰を祈願」する祭事を行うようになりました。
暑さも峠を越し、南国の秋日に人々が集い、集落の御嶽に菊酒と供物を捧げ、近況を報告しあい菊酒で祝杯をあげる賑やかで楽しい行事は、これからも守り続けていきたいものです。
また、常々の菊を楽しむ方法としては、菊花茶がおススメです。
乾燥した菊花に熱々の熱湯をかけると、茶器の中でゆっくりと開き、芳ばしい香りが体を包みます。この香りが風邪、頭痛、眩暈に効くといいます。
園芸では、キク科のマリーゴールドは、土中の線虫を忌避し、余分に施肥した肥料分を吸収してくれる「クリーニングクロップ」として有機栽培にはかかせない植物です。
このマリーゴールド、年配のかたには「万寿」といったほうがピンとくるかもしれません。また、場所によっては「万寿」は菊を示すところもあります。
「よろずのことぶき」先人のネーミングの妙に脱帽です。
この国が本当の「万が寿ぐ」国であって欲しいと願って止みません。
そうそう、“菊の花びらは一人一人を表し、国をつくっている様を表しているんだよ”って、いつどや、菊酒を飲みながらお年寄りが語ってくれたっけ。菊の花にたくさんの意味が含まれているんだよって。

プロフィール:比嘉淳子(ひがじゅんこ)
2児の母。すっかり“沖縄のおばぁ”的存在になりつつあるこの頃。
『沖縄オバァ列伝・オバァの喝!』『オジィの逆襲』(双葉社刊)、『琉球ガーデンBOOK』『よくわかる御願ハンドブック』(ボーダーインク社刊)、『琉球新報・うない』『琉球新報・かふう』のほか、新刊『沖縄オバァ列伝・オバァの人生指南』(双葉社)が発売中。
2007年10月15日
嘉手川学のryuQ100味[10月号]
![嘉手川学のryuQ100味[10月号]](http://img01.ti-da.net/usr/ryuq100/ryuq100_c_0710.jpg)
10月17日は「沖縄そばの日」。業界の努力で残った沖縄の食文化を考える
夏の暑さを引きずったまま、季節は早くも10月である。とはいっても旧暦で数えると10月1日が旧暦8月21日、10月31日は旧暦9月21日である。沖縄は本土のように「暑さ寒さも彼岸まで」という季節感はなく(今年は全国的にも彼岸を過ぎて暑かったけれど)、秋の彼岸を通り越してもだらだらと暑く、沖縄の夏は旧暦の8月を過ぎても暑い日が続くのである。しかし今年は、大きな台風が3回も沖縄に来たので、周辺の海は結構攪拌され海水温も——確認したわけではないけれど——、例年に比べてそれほど高くなってないと思うので、いつもの年よりは早く、秋が来るかもしれないのである。
そんなわけで、暦の上ではしっかり秋になった今の時期の年中行事といえば、旧暦9月9日(クングヮチクニチ)の菊酒である。菊酒は元々中国から伝来した健康祈願の行事で、お酒に菊の葉を数枚浮かべた「菊酒」を仏壇やヒヌカン(火の神)に供えて、家族の健康と繁栄を祈願した。また、大工や石工、鍛冶屋や左官などは労働に大切な手足に怪我がないよう「ティーフィサヌウニゲー(手足の御願)」をして、菊酒を飲んだという。
一説によれば、気品のある菊の花や葉の高い香りが邪気を払い、病を寄せ付けないといういわれから菊酒が始まったといわれている。
が、しかし、ヒンスームン(貧乏人)だったとはいえ、生粋のナーファンチュ(那覇人)の親父や、ヤーチューヤー(鍼灸師)の家庭で乳母日傘に育ち、戦争がなければ何の苦労もなく大人になっただろう同じくナーファンチュのお袋が、旧9月9日に仏壇に菊酒をウサギテ(供えて)いるのを見たことがない。ボク自身、菊酒を知ったのは大人になってからで、りんけんバンドの照屋林賢さんから教わったのである。だから実をいうと菊酒がどのくらいメジャーな年中行事かわからない。でも、菊酒を知ってからは学校やよその家に生えている菊の葉を2〜3枚ちぎってもち帰り、泡盛に浮かべて飲んだことが何回かある。
ちなみに、ウチでは毎年菊酒をやっているという人がいたら、どんな風にしているのか教えてもらいたいものである。
もう一つ旧暦9月で大きな行事9月7日に行われる、97歳の長寿祝いのカジマヤーである。先月紹介した旧暦8月8日の88歳を祝うトーカチもマギスージ(大きなお祝い)だけど、カジマヤーはさらに盛大に行い、さらにその上を行くいわばギガスージである。ちなみにギガスージとは今思いついた言葉なので、ウチナーグチにはない。マギー(大きい)よりもっともっと大きいのでギガといっただけである。正式にいう(かどうかわからないが)とデージマギスージ(とても大きなお祝い)となる。
その、デージマギスージのカジマヤーは、最高の長寿祝いとして子や孫の子孫、ひ孫をはじめ親戚や知人、友人(同級生はほとんどいないと思うが)を招いて、場所によっては村を上げて盛大に催される、まさに人生一生に一度の大イベントである。ボクの周りではそこまで長生きした人はいないので、カジマヤーを生で祝ったことはないけれど、当事者をオープンカーに乗せ近隣の集落を回り、見た人が長寿にあやかれるようお披露目をする、カジマヤー最大のメインイベントに遭遇したことはある。花や風車にデコレートされてゆっくりと歩く速度で走るオープンカーに乗せられたオバァが手にカジマヤー(風車)をもって、ニコニコしながら嬉しそうに手を振っているのが印象的で、それを見ただけでボクも長生きできそうな気がしたものである。

さて、ここまで書いて食べ物の話が出てないのに気がついた。
本題はこれからである。今年のカジマヤーが行われる旧暦9月7日は新暦の10月17日である。この10月17日はウチナーンチュにとって忘れてはならない記念すべき日である。その記念すべき日とはずばり「沖縄そばの日」である。
沖縄そばの日についてはだいたいの人は知っていると思うが、あえておさらいするとしよう。ボクはそばジョーグ(上戸)で週に一度は沖縄そばを食べている。9月は雑誌の取材で沖縄そばを10日で15軒取材してほとんどの店で完食するほどである。その沖縄そばが今から31年前、この世から抹消されようとしていたのである。
今でこそ沖縄そばが「沖縄そば」の名称で呼ばれているが、沖縄が本土に復帰した4年目の昭和51年、公正取引委員会から「蕎麦粉が30%以上混入していないものをそばと表示してはいけない」といわれ、昔から食されてきた沖縄の「そば」は風前の灯となり、名前のない麺となるところであった。が、しかし、昭和50年に設立された「沖縄県生麺協同組合」は、沖縄の「そば」は戦前より県民に「そば・すば」として親しまれてきた、歴史ある呼び名であり、「そば」の名称の残すよう努力した。東京の公正取引委員会の本庁や全国製麺協同組合連合会の会長に会い、沖縄の食文化を語りやそばの歴史をかたり、雨の日も風の日も雪の日も、通い続けて沖縄そばの名称の存続を訴え続けたのである。
そして、折衝開始から3年目の昭和53年に「全国生めん類公正取引協議会」において、特殊名称「本場 沖縄そば」の登録が認められたのである。沖縄そばの名称が正式に承認され登録された日が10月17日だったことから、平成9年10月17日に「沖縄そばの日」となったのである。
今では一日に15万食以上、まさにウチナーンチュのソウルフードとなった沖縄そば。毎年この日になるとボクは、当時の業界の人たちの苦労を思い、感謝の気持ちを忘れずに沖縄そば屋の食べ歩く、巡礼の旅に出るのであった。

筆者プロフィール:嘉手川 学(かでかわまなぶ)
フリーライター、沖縄県那覇市生まれ。沖縄のタウン誌の草分け『月刊おきなわJOHO』の創刊メンバーとして参画。沖縄ネタならなんでもOKで特に食べ物関係に強い。現在も『月刊おきなわJOHO』で食べ物コーナーを15年以上掲載中。
著書、編著、共著に『沖縄大衆食堂』、『笑う沖縄ごはん』、『泡盛『通』飲読本』(各双葉社)など多数ある。今年になって共著で3月に『沖縄離島のナ・ン・ダ』(双葉文庫)と『もっと好きになっちゃった沖縄』(双葉社)、5月には『沖縄食堂』(生活情報センター)が発売。
2007年10月08日
山里ユキ/饒辺勝子/金城恵子

「遊び仲風(あしびなかふう)」マルフクレコード FF-147 歌・山里ユキ秋の風物詩・琉球フェスティバル2007 in京セラドーム大阪の案内が届いた。今回は出演者のプロフィール(全員ではない)を書かせてもらったので顔出さなくてはいけないのかな。今回で13回目を数える琉球フェスティバルは今やこの季節の一大イベントとして定着している。今回の出演者は例年にも増してよりコアというか沖縄色が濃いように思える。金城実をはじめ、山里ユキ、饒辺勝子、金城恵子という、大ベテランながら沖縄からあまり外へ出て行きたがらない、沖縄の中で沖縄を歌い活躍している面々が出演ときている。ウチナーのファンとしては嬉しいと同時に一抹の不安も感じずにはいられない。ビギンでもなく、夏川りみでもなく大丈夫かなどと。ともあれ、山里、饒辺、金城の三人の声が揃ってヤマトで聴けるということは沖縄音楽の核心が伝わるといことであろう。
1986年に発表した「遊び仲風」の大ヒットは歌手・山里ユキの名を永遠に刻まれる名曲としての金字塔を打ち立てた。1937年本部町に生まれ、61年、嘉手苅林昌とのコンビで「嘆きの梅」にてレコードデビュー。以来沖縄女性民謡歌手を常に牽引してきた、トップスターである。80年代に入りしばらく沈黙していた時にラジオから流れた「遊び仲風」に沖縄の民謡ファンはため息をついたものだった。
「用事小(ゆうじゅぐわー)」マルフクレコード FF-24 歌・饒辺勝子1970年、この歌は徐々にヒット街道を登っていく。饒辺勝子の独特の節回しがラジオから流れた。「ゆうじゅぐゎー」というウチナーグチの響きになぜかしびれた。小学6年の頃。それから10年後「恋し鏡地(くいしかがんじ)」にてその地位は不動のものとなった。さてさて、去年(2006年6月)に山里ユキ、金城恵子との女トリオでアルバム「友人(どぅしび)」をリリース。まさに今女三人花盛り(はなじゃかい)というのを証明した。それでもやっぱりレコードの「用事小」は良い。
「想い(うむい)」マルフクレコード FF-15 歌・金城恵子今年の三月、我が「いーやーぐゎー」1周年記念ライブに金城恵子を招いてのライブが凄かった。楽しかった。心地よい下品さというか、沖縄の空気のにおいとでも言おうか、客席には50過ぎのおっちゃん達がざわざわしながら金城恵子の歌声に耳を凝らす。当の金城恵子は照れたようにどんどんマイクを引き寄せ後ずさっていく。ライブはまだ始まったばかりだというのに何の予期もシチュエイションもなくいきなり「想い」を歌い出した。ざわざわした煙ったい空気が一瞬にして張りつめ、狭い箱に押し詰められた50人の差し向かう観客を感動の世界へと黙らせた。この想い誰に伝えよう。

筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
島唄カフェいーやーぐゎーHP:http://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/
2007年10月01日
棚からひと掴み・宮古編

好きなラジオ番組に山下達郎の番組がある。「日曜日の午後、いかがお過ごしでしょうか。山下達郎の……」という例のFM放送だ。マニアックな選曲ときめ細かい蘊蓄とどことなく落語口調のしゃべりをまったりとドライブしながら聴いている人は多いだろう。その中で時々やるのが、「棚からひと掴み」という特集だ。山下達郎個人の膨大な趣味のレコード・CDコレクションから、ランダムに「ひと掴み」取り出して曲を掛けていく、というやつ。適当にひと掴みしても一般的にはあまり知られてないが、おもしろい曲はたくさんあるよ、というコレクションへの自信もあるはすだが、本人が楽しそうに曲紹介するのは、うらやましい限りだ。
で、今回は、ワタクシも、我がボーダーインクの事務所の本棚の、沖縄関係資料の棚から県産本をひと掴みして、山下達郎の気持ちになって紹介してみようかと思いつきました。題して「棚からひと掴み 宮古本編」。どうして宮古? なんとなく、さいが。
まず一冊目は、『ドイツ商船R.J.ロベルトソン号 宮古島漂流記』。著者はというと、当然船の船長であるドイツ人・エドゥアルド・ヘルンツハイムさん。宮古通ならピンとくるでしょうね、キーワードは表紙にも書かれてある「博愛美談」。1873年、このドイツ商船は中国からオーストラリアに向かう途中、台風に遭遇し、宮古島の上野村(現在は宮古島市だが)宮国沖で難破してしまった。たくさんの船員が亡くなり、船もリーフに座礁し航行不能となったのですが、それを助けたのが上野村宮国の村人たち。サバニを繰り出し人命救助し、その後助かった船長たちを手厚く看護し、もてなした。結局彼らは、宮古の人たちの保護の元、琉球の船をもらいうけて、中国経由で無事本国に帰ることができた。この本は、その時宮古島に一ヶ月ほど滞在した船長が宮古のことを記した日記で、ドイツで出版されたものを、上野村が独自に翻訳して出したものなのだ。人種国籍に関係なく困った人を助けるという「博愛」の精神に感銘した船長は、当時のドイツ皇帝にその博愛主義の宮古人たちのことを報告した。すると皇帝は感謝の気持ちを表すために、なんとドイツ軍艦を派遣し宮古島に「博愛記念碑」をわざわざ建立したというのは、有名な「博愛」エピソードである。あれから上野村は「博愛」をキーワードにずっと村造りを続けてきて、とうとうドイツ村まで造ったのだ。この日記は、その原点ともいえる当時の宮古の人たちの様子や島の様子が描写されていて、とってもおもしろい。当時よくヨーロッパの船が難破していたらしく、片言英語の通訳やフランス語を喋る宮古役人が出てきたり、船長たちも感嘆するような美しい集落の様子などの描写など、140年ほど前の宮古島にトリップできるのがたまらない。船を正式に譲り受けいよいよ出航するという前の日、船長たちと宮古の人々はお祝いをする。
〈船に戻ると、この船がこれで私の船となったので、黒と白と赤の旗を掲げた。また、シェリー・コーディアルの酒の箱を空け、多くの客が訪れた。夜がふけるまでタイピンサン(宮古島のこと)のダラニエ(宮古の偉い人)、ドイツのビスマルクなど、さまざまな人やもののためにSAKI〈酒〉の杯を上げた。客が帰り、トゥンツェンたち(彼らの世話をした人たち)だけが船に残ったとき、何本かのSAKIを贈り、ひとりひとりにそれぞれ生姜の壺と三タールルのナムサをあげた。彼らはそれを来年試験のために琉球に行くときまでとっておくと言っていた。
夜遅くヌイチャンが戻ってきた。彼は返礼の贈り物として彼のパイプの束を受け取るように言ってきかなかった〉
編集・発行は「うえのドイツ文化村管理財団 財団法人 博愛国際交流センター 上野村役場」となっており、僕はドイツ村で買った。

棚からひと掴みの二冊目は、『おとーり 宮古の飲酒法』。宮古といえば、独特の酒の飲み方「おとーり」が有名だが(要するに宴会における永続的な宮古流廻し呑み)、まるごと一冊そのことだけが書かれているブックレットだ。これを読めば知らなくてもおとーりの全ての一部がよーく分かることになる。宮古の人にとって、おとーりは単なる酒の飲み方を表すものではないということを。「ぷからすゆうの会」というおとーりの世界を文化的、社会的、歴史的、家庭事情などなど様々な面から研究する、まことに宮古的なメンバーが企画発行している。執筆者は40名をこえる。で、とにかくおとーりの事だけを語るわけだ。
第一章「概説・おとーり」第二章「基礎・おとーり」第三章「社会の動き・おとーり」第四章「論文・おとーり」と、意外にまじめにおとーりの民俗・文化的な面から社会的な事柄までコンパクトにまとめてあり、大変勉強になるのだが、第五章「思い出・おとーり」あたりから、おごえっという感じになる。寄せられたエッセイのタイトルを見ると、「砂糖水でオトーリ」「上司の靴でオトーリ」「そば椀のオトーリで嫁をもらう」「犬に起こされる」。ねぇ、だんだんおとーりの怖さが感じられてくるでしょう。この本はおとーりをどうしたいのか。さらに読むと「カップラーメンの器に恐怖」「そば椀の純粋に恐怖」(ここでいう「純粋」とは泡盛純度100%のことである。宮古の人はそういう)「酒の飲み過ぎに恐怖」……。恐怖体験が綿々と綴られている。怖いけど、すごい。けど怖い。その後、第六章「提案・おとーり」第七章「自由意見・おとーり」と続く。基本的なスタンスとして、宮古の文化であるオトーリだがその過激な飲み方の弊害も見つめて、賛否両論ある中、真のおとーり文化を創出しようという、極めて高い志を持った本なのである。確実に言えるのは、この本を造ろうと思った面々は絶対おとーり廻しながら決めたに違いないということだ。
さて、三冊目は……というところで、時間になってしまいました。やっぱり足りませんでしたね。準備していた『宮古スピリッツ』は、また次の棚からひと掴みの特集の時にご紹介しましょう。いずれも出版社が出した本ではなくて、宮古以外で手に入れるのは難しいですからね。では、来月もセイム・タイム、セイム・チャンネルで。お相手は新城和博でした。
(文・新城和博)

プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
ボーダーインクHP:http://www.borderink.com/
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