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2008年07月14日

ryuQ100歌7月号「新垣さゆり、照屋政雄」編


今回は不思議なレコードを2枚紹介しましょう。

「恋し里前」歌・新垣さゆり
 BCYマルフクレコード FF-1009 1983

最近私が最も注目している若手歌手は村吉茜である。つい一週間前に私の店でライブをして、弱冠19歳にして、あの喉あの声量なかなか普通ではそうはいかないと改めて感心した次第。初めて彼女の歌を聴いたのは彼女が高校1年生の時。なんとませた声をしているのだろうと思った。やはりDNAのなせるワザかもしれない。彼女のおじいちゃんは沖縄芝居界でも有名なトゥックイ小ノリーこと、新垣則夫氏。三枚目の役ではピカイチの役者。母親も叔父さんも歌手という環境に育ったサラブレッド・村吉茜は17歳の時、ラジオ沖縄新唄大賞を受賞した。これは中々大してすごいことですぞ、本当に。

さて、ここに取り出したるは、その村吉茜の母親・新垣さゆりのレコードである。このレコードは私のレコード棚に眠っていて、指摘されるまでは知らなかった。今回聞き直して、声質は争えないと思った。18歳の時にレコーディングしたというのにしてはやはり老けた声である。昭和57年沖縄テレビ民謡大賞ゴールデン新人賞受賞記念盤というこのEPレコード盤を聴くと受け継がれるべき言霊の奥深さを感ぜずにはいられない。彼女はもう一線から遠ざかっているが、娘の茜は今将に伸び盛り。そして母親のオリジナルである「恋し里前」を自身のアルバムに収録しようと格闘している。


「流れの渡り鳥」歌・照屋政雄
 マルフクレコード FF-320 1988

遅れてきた渡り鳥・照屋政雄は今最も勢いのある歌手の一人である。とはいっても彼の場合、ある独特なマイペースというものがあり、それ故損をしたところも少なくはない。ともあれ、今年の9月には大きなリサイタルも控え、また近々映画の撮影も控えていて、やはり忙しくて忙しくないペースの照屋政雄のレアなレコードを一枚取り出してみた。

まず、一見してこれは何だ!と思わす一言声が出てしまうジャケットである。落ち着いてみると、ああ照屋政雄だ、と感じ入るのだが、小林旭の渡り鳥シリーズを意識したであろう歌詞の内容とジャケットのデザインは照屋政雄の笑顔によって、単なる皮肉ではなく本当に映画と歌がすきなのだなと見る人(聴く人も)を安心させてはくれる。というのも、背中にちらりと見える三線にふと許してしまう、我々の心のツボを心得てる風を装うのは彼の韜晦かもしれない。  
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2008年06月09日

厳選・沖縄音楽(6月号)「古典の心」「大浜みね独唱歌集」

厳選・沖縄音楽「古典の心」「大浜みね独唱歌集」
今回は私が復刻を望む2枚のアルバム、すなわち、安富祖竹久の「古典の心」と大浜みねの「大浜みね独唱歌集」を紹介したい。

安富祖竹久「古典の心」
(RBCレコード RML-1004 1970年)

2007年、私は金武良仁全曲集「名人の呼吸が聴こえる」という二枚盤復刻CDアルバムをプロデュースした。SP盤レコードを蓄音機で再生させ、録音した。三線の抑揚と声の抑揚とのバランスの微妙さが実にすばらしく、まさに名人の呼吸というものはこういうものだと感動した。

安富祖竹久(1915〜1990)のアルバム「古典の心」はどうしても復刻してもらいたい一枚だ。古典音楽のことをいろいろ書くと、ボロが出そうなので少し控えて、とにかくゆったりとした中でも音が全くぶれない。それは当たり前なのでありますが、普通のぶれなかたではない。低音も高音も限界がないように余裕で発声する。1970年の録音というからまあ絶頂期の録音といってもいいのかもしれない。その後野村流古典音楽保存会会長に就任し、名人ぶりを発揮したことはあえて説明の必要なないでしょう。

とにかくここに名人芸の足跡があり、これを鑑賞できるのだから、その復刻は少なくとも私は待望して久しい。


'76民謡大賞受賞記念「大浜みね独唱歌集」
(マルフクレコード F-34 1976)

八重山民謡の女性歌手といえば、真っ先に大浜みねの名前が浮かぶ。八重山古典民謡の最大の功労者で夫の故大浜安伴を影で支えながら女性歌手の手本として歌い続けてきた、大浜みねのこれまた絶頂期のアルバムがそれである。

1969年、NHKのど自慢コンクールで日本一になった宮良康正の囃子を受け持ち、全国的にも注目された。そして76年、民謡大賞を受賞し、その年に記念公演も行っている。このアルバムはどこをとってもどこから聴いてもすばらしいのだ。とばらーま、つぃんだら、でんさー、脂が乗り切っているというのはこいうアイテムにいうのだろうと聴くたびに感動している。本当にレコードもジャケットもテカテカに光っているように見えるから不思議だ。

希望的結論からいうと、復刻されることなく、自分ひとりだけでイヒヒと聴いておきたいアルバムだが、しかし沖縄音楽の財産として大浜みねの全音源といわないまでも、せめてこのアルバムは復刻してもらいたいものだ。  
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2008年05月12日

ryuQ100歌5月号「玉城一美、金城洋子」特集


今回のryuQ100歌5月号では「探しているのになかなか見つからないぞ」とよく聞くレコードを2枚取り上げてみました。どちらも後々本人がデジタル録音しているのではありますがご紹介しましょう。

「女童花染小」
 歌・玉城一美、玉城清美

 (マルフクレコード
 KF-324 1979)

 玉城一美、清美姉妹が29年前に発表したシングル。作詞・上原直彦、作曲・知名定男のコンビ。数え歌仕立ての歌の各連の最後に「思てぃくぃりよー かなさしよ(思ってください 愛してください)」というリフレインが耳に残りとても覚えやすい歌だ。私の店でも探しても見つからず聞かせてもらいたいという曲の三本指には入りそうだ。またジャケットがいい。戦後沖縄を代表する歌手の一人・故玉城安定の娘二人。いまや中堅女性歌手のこれまた代表的存在の玉城一美と、かたや今では一線から離れている妹の清美とが並んで微笑む初々しい姿は玉城一美ファンならずとも沖縄音楽のファンなら欲しいジャケットではないか。そして二人のコーラスは聞き応え十分過ぎるほどこれまた初々しいのである。1997年にリリースしたアルバム「天縁」(ディスクアカバナー)ではその完成された「女童花染小」を歌っているが、レコードというものはその18年前の歌声を聞くことができるのです。


「にーびちすがやー」
 歌・金城洋子

 (BCYマルフクレコード
 FF-1007 1982)

 タイトルの「にーびちすがやー」は「結婚しようかな」という感じの意味。この楽曲も作詞・上原直彦、作曲・知名定男の黄金コンビ。金城洋子は現在沖縄民謡界の重鎮・金城実の娘。彼女はこの歌の通り本当に結婚してしばらく歌の道から離れることになる。ところで、レーベルが気なるところである。ジャケットにはBCYマルフクレコードとあるが、歌詞の方を見ると制作・BCYンナルフォンとある。BCYンナルフォンは(有)キャンパスのレーベルで今でも沢山の沖縄発CDをプロデュース及び販売しているキャンパスレコード。BCY(びーしーやーと読む)はビセカツ(代表者)の実家の屋号。
ンナルフォンは代表に担ぎ上げられた金城実のミノルをウチナーグチ風に発音するとンナルとなる。メジャーのミノルフォンならず、ンナルフォンてな具合。また、ンナルーには何も持っていない、体身一つという意味もある。BCYマルフクというのは未だレーベル=ンナルフォンが確立されてない頃のレコードだということになるのか。しかし“ん”から始まるレーベルの発音は難しいのでは?  
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2008年04月14日

ryuQ100歌4月号『奄美しまうた名盤特集』

ryuQ100歌4月号『奄美しまうた名盤特集』
今回は奄美アルバム3枚を取り上げてみました。奇跡の喉とか地上で最も優しい声とか言われて、最近注目をあびる奄美音楽=しまうた。ここに挙げる3枚は奄美のしまうたの原風景が詰まっている。


*奄美大島民謡・南政五郎傑作集
(セントラル楽器 0-27)

奄美島唄の第一人者・南政五郎(1899〜1985)のアルバムを何時手に入れたのか記憶にない。何年もレコード棚にしまっておいて、ある日、こんなレコードもあったっけ、と針を落として凄いと感じたのは90年代に入ってからであった。何が凄いか、その悠長な節回しには、やはり時代の重さをその吐息から感じることができるということか。戦後の奄美群島の日本復帰(1953)以前に島々を歌い歩いて、島人のアイデンティティ深め、第一人者としての名声を得たが、初レコーディングは10年後。このアルバムはそれから10年後の氏が75歳のとき。前回の録音に新録5曲を加えてのLP盤は聴きごたえ十分だ。


*奄美民謡・坪山豊名演集
(マーキュリーレコード JL-813)

奄美民謡ファンで坪山豊の名前を知らない人はいないだろう。あの有名な「ワイド節」が氏の作曲ということを知っている人は沖縄では少ないかもしれない。その坪山氏が伝統船建造術保持者としてはどうだろうか。ライナーノーツによると、幼少時から三線になじんで育ったが、民謡界へのデビューは42歳を過ぎてからであるという。1972年9月に開催された「実況録音奄美民謡大会」に友人のすすめで出場したのが初舞台。翌年には「坪山豊傑作集」なるアルバムもプレスされてその名が広く知られるようになった。1980年に名瀬市での「第一回奄美民謡大賞」にて大賞を受賞して、坪山節の完成を印象付けたという。その直後のアルバムがそれだ。ワイド節が初々しい。


*奄美民謡・武下和平傑作集
(セントラル楽器 0-32)

坪山豊が遅咲きなら武下和平は早くから頭角をあらわした。16歳で初舞台を踏み、26歳の時には東京にて文部省主催の「芸術祭民俗芸能大会」に出演。その翌年にはファーストアルバムを出している。土着の響きの坪山節に対して華麗な武下節はほんの少し前の両横綱だった。貴島康男や元ちとせなどの若手の出現により、奄美民謡が全国的に知られるようなったが、今の若手のうたしゃ達の出発地点であり、目標が武下和平であり、坪山豊である。もちろん CDのデジタル音源も多数出回っているが、当時のレコードで聴くのも一興というもの。

●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
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2008年03月10日

厳選・沖縄音楽『ryuQ100歌・3月号』

厳選・沖縄音楽『ryuQ100歌・3月号』
荒木栄代表作品集」音楽センター MLS-1001
 「沖縄を返せ」という歌をご存知でしょうか?もちろんですよね。では、誰が作って誰が歌ったのでしょうか?やはり大工哲弘?いやいや、実はこの作品は“うたごえ”が生んだ労働者作曲家「荒木栄代表作品集」というLPの16曲の中の一曲であります。A面の5番目に収録されております。作詩は全司法福岡高裁支部が担当したということです。ライナーノーツによると、1956年、第3回九州のうたごえ祭典(大分市)で九州最初の創作発表会が開かれ、大衆投票で第1位となった「沖縄を返せ」の歌が暗すぎるという声が出たため、全九州合唱団会議の要請によって作曲者が同じ詩を行進曲ふうに改作したものということです。
 私個人的にはどうも好きになれない歌詞とリズムではありますが、大工哲弘などが歌うとなぜかつい口ずさむほど時代の流れのなかで歌われたものだということを認識せざるを得ません。

あじさい色の雨がふる」歌・流さとし ウインザーレコード AW-0015
前回沖縄演歌と関連のあるレコードを3枚掲げましたが、私が最初に手に入れた演歌のレコードを紹介するのを忘れていました。流さとし(現在・琉智)歌う「あじさい色の雨がふる」であります。沖縄の日本復帰に確か前年、街には「沖縄を返せ」の歌が響き渡る頃、私はまだ中学生でありました。家業のクリーニング屋を手伝わされていた時、確か琉さとし本人だと思いますが、訪問販売で売り歩いているのを母に買ってもらったのです。後に私は彼の30周年記念コンサートの舞台監督をつとめるのですが、その時の打ち合わせで私が氏のレコード持っているがジャケットを失った事を伝えると、数少ないかつての一枚を持ってきてくれました。

ヤミオバー」歌・中本ツトム RBCレコード RM-501 1978
 中本ツトム歌う「ヤミオバー」とはかつて(復帰前)のヤミタバコ売り(だいたいがオバーであった)の悲しい物語。そもそもヤミタバコといっても今の若者達には分からないかもしれませんが、要するに基地の中で売られている免税タバコを仕入れて、正当でない価格で取引すること。副題に「ヤミタバクゥ追放運動テーマソング日本専売公社未公認」とある。ここまで行くと皮肉というより、おちょくりといった方がいいかもしれません。なるほど、プロデュースはキャンパスレコードのビセカツでした。

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2008年02月11日

ryuQ100歌[2月号]は『♪沖縄演歌特集』

ryuQ100歌[2月号]は『♪沖縄演歌特集』
今回は、沖縄演歌をテーマにしたレコードを3点あげてみました。

「海洋博ユンタ」三橋美智也 「オキちゃんマーチ」今陽子
 キングレコード K-108

 沖縄の演歌人口は多い。私の母など沖縄島唄はほとんど聞かないが、演歌、得に三笠優子のファンで、私に対して「お前は若いのに民謡なんか聞いてどうするのか」といつもたしなめていた。演歌のカラオケ教室は結構繁盛しているようだし、レコード会社の専属演歌歌手のメシのタネには困らないようだ。沖縄出身の演歌歌手も他府県と比べると人口密度からすると上位にランクされるのではないかと思う。昭和40年代後半、すなわち日本復帰から海洋博にかけて沖縄県内において沖縄音楽が盛んになった。民謡はもちろんのこと、沖縄を題材にした演歌も盛んに歌われ、沖縄出身の演歌歌手が多数現れ沢山のレコードが出回った。もちろん中央の歌手も沖縄をテーマにした歌を歌った。美空ひばり、島倉千代子などの有名どころも競って歌ったりした。

 ここに紹介する「海洋博ユンタ/オキちゃんマーチ」はA面に三橋美智也歌う、海洋博(作詞・横井弘作曲・遠藤実)B面に今陽子歌う、オキちゃん(作詞・あさひな知彦作曲・小林亜星)と当時とすれば相当な売れ筋路線だ。オキちゃんマーチは海洋博のいるかのオキちゃんショーのときに流れてよく耳にした覚えがある。

「糸満浜育ち」歌・山内たけし
 ビクターレコード TES-1002

 故嘉手苅林昌らとならぶ戦後民謡歌手の巨人の一人である山内昌徳の二代目・山内たけしは鳴り物入りで演歌界にデビューした。今風に言うとイケメンでスタイルがよく、声も良ければ二代目サラブレッドというところだ。マルタカレコードも結構力を入れていた。時代は沖縄島唄も沖縄演歌も受け入れる素地はなかったようだ。ともあれ「糸満浜育ち」今聞いてもかつてラジオから流れた懐かしさがこみ上げてくるのはなぜだろう。

「沖縄天国」歌・南株間(ナン スーチェン)
 ミノルフォンレコード PR-172

 先日、我が島唄カフェいーやーぐゎーにて、城間ヨシ・バースデーライブ「トーカチに歌う」というライブを催した。88歳のヨシさんの歌声には聴いているお客全員がひれ伏すほど歌えば歌うごとに力強くなっていった。三度のご飯より歌うことがすきで歌こそが若さの秘訣という彼女の言葉には説得力があった。

 南株間歌う「沖縄天国」、1984年のプレスというが彼に関する素性などの情報は私は持っていない。しかしこの歌は一度皆さんに聞かせたいと思うレコードの一つである。歌詞を少し紹介しよう。
 ♪めんそーれと鳴く こおろぎ横丁 待っていたわと 松山横丁
  若さにまかせて 若さの通り 年貢納めは 高砂殿
曲もなかなかなものですぞ!

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タグ :演歌小浜司

2008年01月14日

正月のあやぐ/国吉源次 (ryuQ100歌・1月号)

正月のあやぐ/国吉源次(ryuQ100歌1月号)
正月のあやぐ(国吉源次)正月のあやぐ (国吉源次)」マルフクレコード FFG-5

2008年になりました。平成になって20年ということで、ついこの間、平成になったと思ったら、今年成人を迎える人は平成生まれとなると、今さらながら時の流れの速さを感ぜずにはいられない。

今回紹介するレコードは国吉源次のアルバム「正月のあやぐ」である。このアルバムは私自身大好きで、何度も何度も聞いたものであった。ジャケットがシーサーの版画のデザインで、C.YONAHAとサインされている。あの与那覇朝大の作品だ。国吉源次といえば、宮古民謡の代表的歌手であるということは皆さん承知のこと。1930年生まれ。今年78歳。おばあさんの背中で子守唄代わりに聞いて習った宮古民謡。

「おばあさんは歌はうまいほうではなかったけれども歌の数では誰にも負けなかった。おばあさんの影響は大きいです」(2004年12月)と幼い頃を振り返って微笑む姿はジャケットのような屋根の上のシーサーのきりりとした風貌はなかった。そんな国吉源次が小学校3年の頃、最初に熱中して覚えた民謡が「正月のあやぐ」というからすごい。

 ♪正月ぬ参(んみゃ)たりゃどうよーホーイ
  新年ぬ参(んみゃ)たりゃどうよー

ゆったりとゆったりと「しょーがーつーぬー」と流れるリズム。再び国吉源次の言葉から
「宮古民謡は沖縄民謡や八重山民謡に比べても決して負けない色んないい歌があるし、旋律もこんなすばらしいものは他にない。それを歌い継いでいくのが精一杯だよ」
ではアルバム「正月のあやぐ」の収録曲を見てみよう。

 A面
 正月のあやぐ、白馬のあやぐ、かにくばた、米のあら
 B面
 ばんがむい(子守唄)なますのぐう、中立のみが小、内根間のかながま、長山底

A面2曲目の「白馬のあやぐ」は、作詞・国吉源次、作曲・普久原恒勇である。まだ確認したわけではないが、それはこのアルバムにしか収録されていないのではないか。国吉源次が生涯をかける歌と称する「伊良部トーガニー」はこのLPにはない。しかし若き国吉源次の歌に対するひたむきなまでの態度が感じられるのだ。その意味でも名盤といえそうだ。生活は楽ではないけど自分にはこれしかない、いつもいつも自分に言い聞かせて歌い続けてきた国吉源次の歌に今年の正月はつい耳を傾けてみた。

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2007年12月10日

「平和の歓び」「平和の花」「センスルー独演名選」

ryuQ100歌(12月号)
「平和の歓び」(RBCレコード RM-111)
「平和の花」(マルフクレコード FF-28)
平識ナミ作詞、普久原恒勇作曲した、平和シリーズ三部作ともいいましょうか、「平和の願い」「平和の花」そして「平和の歓び」のレコードがあり、ともに70年代にヒットし、ラジオからもよく流れていた。そのほか「平和節」「平和の鐘」などという音曲もあり、最近ではサザンオールスターズの「平和の琉歌」をネーネーズが歌って話題となったことも記憶に新しい。やはり先の大戦で壊滅的な打撃を受けた沖縄の庶民が如何に平和を願ってきたということがこれだけでもよく分かるものだ。故玉城安定民謡研究所歌う「平和の願い」はデジタル音源に復刻(チャンプルーシングルス 東芝EMI1998)されたし、娘の玉城一美も自らのアルバムなどで歌っている。同じ録音の「平和の歓び」は今ではほとんど聞くことができなくなってしまった。ということは沖縄の庶民は平和の歓びを今だかみしめてないのかもしれない。歌詞の2番目に
 苦しみん忍で 暮らちちゃる沖縄
 今や日ぬ本ぬ 光うきて我島沖縄
日本に復帰すると平和の喜びに浸れると思っていたが、基地がなくなるどころか相変わらずの基地被害に悩まされるという危険と隣り合わせの現実。ということは「平和の花」が咲いたと思っていたことも幻想でしかなかったということか。フォーシスターズ歌う「平和に花」では、でいごの花と桜の花と、一元となって栄えてゆこう、と歌っている。世相の反映としての島唄、その時代の中で歌われた、を後に聞きなおしたときに見える幻想と現実の歪を捉えなおすことも必要なのかもしれない。

「センスルー独演名選」(沖縄レコード ORL-1007)
 喜劇の王様池原センスルーを偲ぶ決定盤!と銘打って、「スーヤーぬパーパー」「職業口説」「センスル節」「口説ベーシ」の4曲を収録。小那覇ブーテンや照屋林助の笑芸に興味ある人なら一度は聴いてみたいと思っていることだろう。大正15年より芝居の世界に踏み入り、戦争直前、劇場が日本軍に接収されるまで珊瑚座などで活躍した。彼の「センスル節」は大好評であだ名まで池原センスルー(本名は池原靖治)と呼ばれるようになった。戦後は糸満町の区長として信頼を得たが、再び俳優の生活に戻った。日本復帰の前年病で逝去した。氏の漫談などの笑芸をあらためて聴いてみるとウチナーグチの表現の多様さに驚かされる。


筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
島唄カフェいーやーぐゎーHPhttp://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/
  

2007年11月12日

ryuQ100歌11月号/夫婦節/貴島康男

ryuQ100歌11月号/夫婦節/貴島康男
「夫婦節」マルフクレコード KF-60 1974
 昭和10年、普久原朝喜作とされる(録音は16年か?)「夫婦節(みいとぅぶし)」は男女掛け合いの元祖的ラブソング;
♪かやぶちややてぃん(茅葺のボロ屋でも)頼む思里がかなさすんやりば(貴方の大きな愛があれば)我ンネー イッペー 果報ナムン(私は本当に幸せです!)
玉城安定、兼島米子のデュエットのこの歌は戦後最大のヒット曲の一つ「二見情話」のB面として発売され、両面とも好評を博した。「二見情話」はその後いろいろな歌手によって歌われているが「夫婦節」はあまり歌われていないのは何だかもったいない気がする。古き良き沖縄のノスタルジーを喚起させることは民謡という歌の力といえよう。
♪里と語らいば 心配事ん忘て
 交わす云言葉ん 嬉し事びけい

「夫婦船」マルフクレコード KF-103 FF-11
 “夫婦”ものといえば「夫婦船(みぃとぅぶに)」とイメージするほどに聞かれ歌われている。民政府発行「今日の琉球」(昭和38年)紙上でハワイ在住の比嘉盛勇作詞の「夫婦船」の作曲募集に亀谷朝仁が応募して採用されたのがこの楽曲である。当時女性歌手の人気、実力とも代表格の石原節子がレコーディングしてたちまちにして大ヒットとなる。後に亀谷朝仁本人も録音して氏自身の代表曲の一つとなっている。今では結婚式などではもちろん、カラオケなどでも最も歌われる歌の一つであることは言うまでもなさそうだ。

「ピンポンズ/おかげさんです。LIVEです」奄美レコードAMAMI-0001
 大阪の琉球フェスティバルの会場で久しぶりに貴島康男に会った。相変わらずのやっぱり貴島康男であった。沖縄でライブしようと約束して、早速日程を調整。12月1日(土)に決定した。ここに紹介するのは貴島康男がバンマスをつとめる「ピンポンズ」の2003年のライブCDである。奄美レコード第一弾とうたわれている。“奄美レコードとは?島ッチュの島ッチュによる島ッチュのためのCDレコード会社”とCDの帯にある。その帯にいう
“若手ナンバー1の貴島康男と奄美の若者が作ったピンポンズ!
 あっという間に人気者!これが奄美の今だ!奄美に未来だ!
 泣かせます!笑わせます!躍らせます!どか〜んと聴いてちょうだい!”
発売当時どか〜んと聴きました。今回大阪より戻り聴きました。いやー貴島康男は凄い!


筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
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2007年10月08日

山里ユキ/饒辺勝子/金城恵子

山里ユキ/饒辺勝子/金城恵子
遊び仲風・山里ユキ「遊び仲風(あしびなかふう)」マルフクレコード FF-147 歌・山里ユキ
 秋の風物詩・琉球フェスティバル2007 in京セラドーム大阪の案内が届いた。今回は出演者のプロフィール(全員ではない)を書かせてもらったので顔出さなくてはいけないのかな。今回で13回目を数える琉球フェスティバルは今やこの季節の一大イベントとして定着している。今回の出演者は例年にも増してよりコアというか沖縄色が濃いように思える。金城実をはじめ、山里ユキ、饒辺勝子、金城恵子という、大ベテランながら沖縄からあまり外へ出て行きたがらない、沖縄の中で沖縄を歌い活躍している面々が出演ときている。ウチナーのファンとしては嬉しいと同時に一抹の不安も感じずにはいられない。ビギンでもなく、夏川りみでもなく大丈夫かなどと。ともあれ、山里、饒辺、金城の三人の声が揃ってヤマトで聴けるということは沖縄音楽の核心が伝わるといことであろう。
 1986年に発表した「遊び仲風」の大ヒットは歌手・山里ユキの名を永遠に刻まれる名曲としての金字塔を打ち立てた。1937年本部町に生まれ、61年、嘉手苅林昌とのコンビで「嘆きの梅」にてレコードデビュー。以来沖縄女性民謡歌手を常に牽引してきた、トップスターである。80年代に入りしばらく沈黙していた時にラジオから流れた「遊び仲風」に沖縄の民謡ファンはため息をついたものだった。

用事小・饒辺勝子「用事小(ゆうじゅぐわー)」マルフクレコード FF-24 歌・饒辺勝子
 1970年、この歌は徐々にヒット街道を登っていく。饒辺勝子の独特の節回しがラジオから流れた。「ゆうじゅぐゎー」というウチナーグチの響きになぜかしびれた。小学6年の頃。それから10年後「恋し鏡地(くいしかがんじ)」にてその地位は不動のものとなった。さてさて、去年(2006年6月)に山里ユキ、金城恵子との女トリオでアルバム「友人(どぅしび)」をリリース。まさに今女三人花盛り(はなじゃかい)というのを証明した。それでもやっぱりレコードの「用事小」は良い。

想い・金城恵子「想い(うむい)」マルフクレコード FF-15 歌・金城恵子
 今年の三月、我が「いーやーぐゎー」1周年記念ライブに金城恵子を招いてのライブが凄かった。楽しかった。心地よい下品さというか、沖縄の空気のにおいとでも言おうか、客席には50過ぎのおっちゃん達がざわざわしながら金城恵子の歌声に耳を凝らす。当の金城恵子は照れたようにどんどんマイクを引き寄せ後ずさっていく。ライブはまだ始まったばかりだというのに何の予期もシチュエイションもなくいきなり「想い」を歌い出した。ざわざわした煙ったい空気が一瞬にして張りつめ、狭い箱に押し詰められた50人の差し向かう観客を感動の世界へと黙らせた。この想い誰に伝えよう。


筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
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2007年09月10日

小浜司の『ryuQ100歌』9月号


沖縄のエイサーは旧暦の七月十三日〜十五日、いわゆる旧盆のウンケー(お迎え)中日、ウークイ(お送り)の三日間の奉納エイサーや道ジュネ(巡回)が、純で素朴で民俗的である。昨今、エイサーの芸能化が進み、共同体の儀式としてのエイサーから、観光のための、経済効果としてのエイサーへとなりつつある。
それの良し悪しや功罪はここでは問わない。ここに三枚のシングルレコードがある。「七月エイサー」と、タイトルされている。三十年以上前の音源である。かつては単にエイサーではなく、七月エイサーといっていたことがわかる。音楽鑑賞の商品としてのレコード音源であり、そのダイナミックな演舞はもちろん、地謡の魅力も楽しみの一つとして鑑賞していたといえる。

七月エイサー/玉城安定民謡研究所
(マルフクレコードKF-55)

一枚目の故玉城安定率いる玉城安定民謡研究所の演じるエイサー。わずか四分程度のエイサーだが、雰囲気はよく出ていて、演奏が始まったとたん身を乗り出して踊りたくなるような演奏だ。長年七月エイサーという行事にたずさわり、踊り手のリズムも呼吸も知り尽くしている地用はコンパクトにまとめられていても十分楽しめる。曲は「仲順節」「久高まんじゅう主節」「スーリ東」「唐船どーい」の四曲。

七月エイサー/山内昌徳民謡グループ
(マルタカレコードTES-1011)

二枚目は山内昌徳民謡グループ。かつてはその甘い美声で女性を虜にした山内昌徳の四十年前の音源。A面B面の二面に渡っての七月エイサー。A面に「仲順節」「久高まんじゅう主節」「ピーラルラー節」。B面に「トゥタンカニ」「スーリ東」「唐船ドーイ」コザ(沖縄市)のエイサーの芸能化はここらあたりから顕著となっていったのではないか。

七月エイサー/嘉手苅林昌、知念禧 ゴモン合唱団
(ゴモンレコードGS-47)

三枚目の七月エイサーは大太鼓の音をより強調した、現代風に近い雰囲気に仕上げている。知念禧の地謡ヴォーカルで始まり、何だか地方の雰囲気を十分に醸し出しているところに嘉手苅林昌の「サフエン節」にバトンタッチ。踊りというより唄に引きずり込まれるような感じだが、唄と伴奏とのバランスがいまいち地方的、というところも良しとしよう。

かつてはこれらのレコードを手本としてエイサーの奏法を必死になって練習していた。


筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
島唄カフェいーやーぐゎーHPhttp://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/
  

2007年08月13日

海洋博は招くよ/カンポーぬ喰えぬくさー/那覇ブルース


海洋博は招くよ
(マルフクレコードKF-215 1973)

♪海洋博は招くよー サーサ皆おいでよ沖縄へ

ラジオから流れる、饒辺愛子の透きとおるような声。日本復帰から海洋博、72年から75年、街は民謡であふれていた。祖国に復帰しても豊にならない生活。もしかしたら沖縄国際海洋博覧会は沖縄を国際的に認めさせることができて、さらに生活も向上するのではという庶民の儚い夢は、海洋博の蓋を開けたとたん崩れ去る。経済の反動は音楽に真っ先に跳ね返った。雨後の竹の子のように増えた民謡クラブは消えていき、ラジオの民謡番組も少なくなっていった。饒辺愛子歌う「海洋博は招くよ」はラジオで連日のようにリクエストされ、昼夜なく流れていた。それが1975年7月20日、海洋博が始まったと同時にピタッとリクエストがとまった。


カンポーぬ喰えぬくさー
(マルフクレコード FF-70 1975)

 海洋博が始まって流行りだしたのが「カンポーぬ喰ぇぬくさー」(歌・でいご娘)だ。戦後30年、艦砲射撃の喰い残しのウチナーンチュ(戦後生き残った沖縄人)が、もう戦争はコリゴリだとうたう。考えてみるとこの間の民謡には、これほどあからさまに反戦を歌った歌はなかった。少なくともこれほどのヒット曲はなかった。何故この時期なのか今もって私の疑問のひとつである。ともあれ、復帰前から沖縄の中で沖縄音楽=民謡ブームが起こり、海洋博の開始と同時に衰退へと向かっていったように見えたとき、先ず気を吐いたのがこの「カンポーぬ喰ぇぬくさー」であった。沖縄ならではの現象といえそうだ。

♪我親喰ゎたる あぬ戦争
 我島喰ゎたる あぬ艦砲

でいご娘のコーラスがラジオから流れて、近所のおばあさんが涙を流しているのを目撃したことがある。何故この時期であったのか。

そして、もう1枚……  
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2007年07月09日

小浜司の『ryuQ100歌』7月号


『おじさん/センスルー節』
(マルフクレコードKF-56)


 1995年、東芝EMIより「チャンプルー・シングルズ」というCDが発売された。これはEPレコードをターンテーブルで再生して、デジタルサウンドにリミックスしてのコンピュレイション・アルバムだ。2枚のシリーズもので、ボリューム1は滑稽ものを集めたもので、2は戦争・移民・平和をテーマとした。音源となったレコードは私が選曲し提供(1曲を除いて)した。解説などというものもその時初めて書いた。我ながら良い仕事ができたと思い、そのギャラでまたレコードを集めようと思ったりしたが、待てど暮らせど手間が来ない。コーディネーターのKに持ち逃げされたらしく、おまけに撮影用にと貸したジャケットも2枚紛失され、何処へ問い合わせても知らぬ存ぜぬの責任転換のたらいまわしであった。出来上がったCDを見ても私は制作協力者でしかなかった。腹が立つには立ったが、当時私は別の仕事が忙しくて、送られてきたCDもほったらかしておいていた。

 何年か経って、改めてこのCDを手にとって聴いてみると、なかなかすばらしい。自分で針を落として聴くときのレコードの傷音も一緒となると、過去のことは忘れましょうという気になる。このアルバムに収めた曲は単にマニア向けのレアなナンバーではなく、結構聴かれて、ラジオなどからもよく流れた曲を選んだつもりだ。そういう意味で最も特徴的なレコードがこのCDにも納めた「おじさん/センスルー節」といえようか。登川誠仁のレコードの中でも最も売れた作品ではないか。ジャケットも幾種類かある。舞踊家・志田房子の若い頃の歌声でセイ小との掛け合いは絶妙だし、センスルー節をポピュラーにしたのはこのレコードといっても過言ではない。


『職業口説』
(しょくぎょうくどぅち マルフクレコードKF-254)


 うえの「センスルー節」が広く一般に聴かれたのに対して、これもチャンプルーシングルズに収めたが、玉城朗永歌う「職業口説」は玄人向けというか、十八番大会などで披露するための裏レコードといえる。とはいっても熱心なラジオファンにはバレバレのネタなのだが、それに照屋林助や小那覇舞天の「職業口説」とチャンプルーすると今でもウケるのは間違いない。「センスルー節」も口説(くどぅち)の一種で、口説囃子に沖縄漫談の様式を取り入れ滑稽にしていく。ここでは沖縄の各地の方言の訛りを変化させていく。  
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2007年06月11日

3つの『十九の春』


「十九の春」(マルフクレコードFF-53 本竹祐助、津波洋子 1972)

 先月、「『十九の春』を探して」(講談社刊、川井龍介著)という本が出版された。サブタイトルに「うたに刻まれたもう一つの戦後史」とあり、沖縄発の歌謡で最も広く知られている「十九の春」のルーツから多様に変化(へんげ)し、広がり行くさまをルポルタージュしていく。十九の春という歌はそもそも十九の春という歌であったのか。十九の春という歌がもともと十九の春という歌ではなかったというところに、この歌のレコードに刻まれたもう一つの歴史があるのだ。戦後史の中の「十九の春」は前記の本に譲るとして、レコードの話に進みましょう。

 マルフクレコードより1972年にプレスされた、この「十九の春」こそが一等最初の十九の春である。三線・津波恒徳、ギター・津波恒英が参加しており、ヴォーカルの本竹祐助のコンビの相手が津波洋子、津波恒徳の娘である。となると、本竹以外は津波一家で、このレコード誕生の裏には津波恒徳の強い意志が働いているのが読み取れる。ところで、クレジットには記載されていないが、ヴァイオリン音が聞こえるが、普久原恒勇が弾いているものと思われる。そしてこれも記載されていないのだが、ディレクターがビセカツ(備瀬善勝)であったということである。十九の春の命名は誰かということになると、記憶になかなか食い違いがあるようだが、やはり備瀬の命名とみてよさそうだ。  
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タグ :十九の春

2007年05月04日

「ハンタ原」「宮古ニ小・手間当」「トウガレー」


「ハンタ原」、「宮古ニ小・手間当」(FM-201マルフクレコード)

 今回は歴史的名盤といわれるA面「ハンタ原」B面「宮古ニ小・手間当」を紹介したい。このレコードは丸福レコード三十五周年記念、名盤復刻シリーズの一枚。というか、FMシリーズ25枚中のトップに持ってきた一枚。現代沖縄民謡の元祖といわれる普久原朝喜の代表作ともいえる「ハンタ原」。ところがジャケットには「ハンク原」とある。私は宮城輝忠の「宮古ニ小」が聞きたくて探し当てたレコード。手にとって片面の「ハンタ原」なる文字を見たとき、如何なる節なのかと思った。針を落としてみると、「ハンタ原」が流れた。単なる印刷ミスであった。昭和2年、大阪にて太平マルフクレコード開設。戦前、500以上のアイテム(SP盤レコード)をプレス。プロデューサー・普久原朝喜の元で古典音楽、民謡、芝居、漫談などありとあらゆる沖縄芸能をレコードにした。戦後、息子の普久原恒勇は沖縄にてマルフクレコードを開設。名盤復刻シリーズはその翌年にプレスされた。普久原朝喜、鉄子のデュエットの何だかひょうきんな節回しがその後の沖縄音楽に与えた影響は計り知れない。
 B面が宮城輝忠の「宮古ニ小・手間当」。去る3月31日102歳で亡くなられた高良輝忠さん。新聞によると宮城は旧姓ということ。この「宮古ニ小」こそがあの伝統のナークニーといわれる、コンチュー・ナークニー。力強い歌声と奔放な三線と、後のナークニー唱法の基本となっていった。昭和初期に大阪へ出稼ぎに行っているときに普久原朝喜にすすめられて12曲録音した。デジタルに復刻されているのはそのうち3曲。沖縄に帰ってからは新録はせず、表立った舞台活動もせず、地域の一歌手としての姿勢を貫いた。そこに生きながらにして伝説のナークニー奏者として知られた所以がある。4月12日の琉球新報の高良輝忠を偲ぶ記事に普久原恒勇のコメントがある。
「今、こんな歌い方はできない。戦前の人は民謡しか知らない。琉球音階以外耳にしていない琉球人だ…」
これは氏の父親の普久原朝喜の「ナークニー〜はんた原」にもいえるだろうし、そして仲間良謙歌う「トウガレー」にも。  
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2007年04月06日

『芭蕉布』〜『“セイ小”アッチャメー小』


 今月から、ryuQ編集部のKUWA氏よりのオファーに応えるべく、名盤、珍盤、迷盤のレコード(CD)の中から選ぶ名曲ドキュメント。早速始めたいと思います。よろしくお願いいたします。

『芭蕉布』
 第一回の今回取り上げるのは、戦後の代表曲であり、今や県民歌といわれている『芭蕉布』(マルフクレコード KF-149)。作詞・吉川安一、作曲・普久原恒男(当時は恒勇ではない)。1965(昭和40)年、琉球放送のラジオ歌謡として発表され、コザ(沖縄市)の普久原楽器店の丸福レコードから発売された。これまで色々な方々がこの名曲を歌っていますが、一等最初に歌った歌手は、沖縄系ハワイ三世のクララ新川。というわけでハワイアンな感じのする曲に仕上がっている。クララはハワイのハイスクールを卒業して叔母を頼って沖縄へ。嘉手納基地でアルバイトしながら日本語を勉強していた。幼い頃から音楽の勉強をしていた彼女の持参したデモテープを聞いた、普久原恒勇は従来の沖縄風音楽とは異なる新曲にふさわしいと感じ、彼女に歌わせようと思った。19歳のクララ新川は生涯ただ一曲レコードを録音した。その後彼女は軍医(歯医者)と結婚してカリフォルニアへ移っていった。そして1982年、水難事故で37歳の生涯を閉じた。デジタル音源では2004年に岡本ホーテン・プロデュースによるCD『アロハイサイ』(GOCU-4011)の一曲目に収録されている。

『芭蕉布』
 宮けいこ、里なおみの歌う『芭蕉布』がプレスされたのは1971年。ここらあたりから色々な歌手によって歌われていきます。沖縄風であって沖縄風でないメロディーはNHKの「名曲アルバム」にとりあげられて全国的に知られるようになったといいます。  
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