2009年06月08日
「名護小唄」(仲宗根美樹)と「三味と共に…」(嘉手苅林昌)

今回は、仲宗根美樹のレコードと、嘉手苅林昌のCD一枚を取り上げてみよう。
「名護小唄」歌・仲宗根美樹(キングレコード NC-159 1940)
仲宗根美樹と言えば、「川は流れる」をご存知だと思いますが、この曲は今もって聴くたびにゾクゾクとくるものを感じるのですが、ウチナーポップの元祖とも言うべき「種のコミュニケーション」とうのを時代を超えて示してるのではないかと、思うのは私だけでしょうか。
では、ウチナーポップの“種”のコミュニケーションとは何か、という問いを私に与えたのがこの「名護小唄」でありました。仲宗根美樹は1960年、16歳の時、キングレコードより「愛に生きる」でデビューして、62年の「川は流れる」はミリオンセラーとなり、その年の日本レコード大賞新人奨励賞を受賞しています。その後「奄美恋しや」や「恋しくて」など続々ヒット曲をとばし、大スターとなりますが、実業家に転換してどうもうまく行かなかったようです。現在は銀座でクラブのママで働いているといいます。
さて、「名護小唄」は64年の作品で、まあ彼女が一番乗りに乗っている頃かもしれません。しかし、この歌は戦前、普久原京子も歌っているのです。1940年、太平丸福レコード(福-724)で歌われているカバー(もしかして彼女の前に誰かこの歌を歌ったかもしれませんが)ということでしょうか。
SP盤で聴く、普久原京子の歌うヤマトグチ=日本語の歌詞(かなり聞き取りにくいが)の珍しさもあるのですが、しかし感覚そのもは古くさくない感じがして私は好きです。そして仲宗根美樹歌う「名護小唄」はどうも沖縄語ぽくないが、懐かしさは、普久原京子のそれと似ているのです。
ともあれ、時とジャンルを隔てても、故郷・沖縄を歌う心持ちというのは一つということかも知れません。ではでは、それを沖縄音楽のコミュニケーションとして歌える最近の若手歌手はいるのでしょうか?
「三味と共に…」歌・嘉手苅林昌(嘉手苅林昌追悼公演実行委員会 2001)
2001年11月4日、嘉手苅林昌追悼公演が催された。死して2年後のことであるが、その記念版としてリリースされたのが本CDである。「三味と共に…」は追悼公演のタイトル。曲は「宮古根〜はんた原」、「かいさーれー」そして「下千鳥」の3曲。
それらはいずれも1974年、中頭教育会館にて催された「嘉手苅林昌リサイタル」からの音源。音源的には他のCDでも復刻されているので、決して聞けないものではないが、追悼公演に祝儀(寄付)を持って来た人のみに配られたという珍しいCD。
私も制作者として関わったので何枚か持っていたが、つい知り合いに差し上げたりして、終には一枚しか残らなくなってしまった。
●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73392.html
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2009年05月11日
ゴモンレコードの「耳切坊主」と「山原手間当」

今回はゴモンレコードの2枚を取り上げてみましょう。「耳切坊主」と「山原手間当」の2枚。山原の方は嘉手苅林昌と知名定男のコンビというからこれまた珍しい。
「耳切坊主」歌・山内まさのり、中井須美子(ゴモンレコード GM-19)
沖縄の童謡の音源は意外と探しにくい。ここにある「耳切坊主」(A面は「べーべーぬ草刈いが」もそうだが)も歌詞を確認しようと探したが、見つからないというお客さんが多い。子守唄(童謡)としては最も有名な曲の一つなのに、聞く人が限られているのだろうか。しかし、この歌ほど不思議な子守唄はそう無いのではないか。早く寝なさい、寝ないとマジムン(魔物)が現れて耳を切るぞ!耳を切られたくなかったら目を瞑りなさい、と大人が脅す。すると子供の方は耳を切られたくないから一生懸命目を瞑る。そうするといつの間にか寝入っている。そのバックグランドはそうだが、意味の方もまた不思議なのだ。
大村御殿の門の前に耳切坊主が3人4人と刃物を持って立っているのだ。耳切坊主は実際に存在して実際にあった事件をもとに作られた童謡で、モデル(一人)も実在していた。「琉球天女考」など2、3の本を紐解いてみると、色々なことが分かってくる。通説では18世紀前半頃、那覇若狭町護道院の黒金座主という住僧が妖術を駆使して若い女性を誑かしていたという罪で、北谷王子(王弟)に成敗されたとされる。
黒金座主とは俗称で、その法号は波上護国寺の住職(第18代)であった盛海上人という人であった。その弟子に心海上人(第24代住職)があり、彼は組踊「手水の縁」の作者で国家の謀叛罪で死刑になった、平敷屋朝敏の仏教の師匠にあたる人である。
ともあれ、政治と宗教の権力争いに巻き込まれた事件を題材にした童謡がこのような形で残っているのも沖縄らしいが、昨今はそれを伝える環境が乏しいような気がする。
「山原手間当」歌・嘉手苅林昌、知名定男(ゴモンレコード GS-12)
嘉手苅林昌と知名定男のデュオはあるようでそんなにない。その意味でもファンには涎ものかもしれない。一応は師弟関係でもあり、嘉手苅林昌は中学時代の知名定男を地方の公民館などでのライブにも連れ回して歌っていたようでもある。今からすると児童何とかに引っかかるかもしれないけど、ともかくあの頃(50年前の頃)の二人の人気は大したものであったようだ。
知名定男のソロのリードから始まる歌は自己主張をグングンとするのだが嘉手苅林昌は宥めるでもなしに飄々とソロをとっていく。知名はそうか、とばかりに力みがとれていく。珍しい音源とはこういうものにいうのかもしれない。しかし嘉手苅の包容力は凄い。登川誠仁なら張り合うようなところがあるが嘉手苅林昌は何処吹く風である。しかしそれを意識させる知名定男もやはり凄い。
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筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
島唄カフェいーやーぐゎーHP:http://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/
2009年04月13日
嘉手苅林昌の十八番「海のチンボラ節」坪山豊の名曲「ワイド節」

今回は有名な2枚を取り上げたい。すなわち、嘉手苅林昌の十八番「海のチンボラ節」と坪山豊の名曲「ワイド節」のドーナッツ盤だ。どちらもオリジナルというか、一番最初の録音盤となる。
「海のチンボラ節/泊高橋節」歌・嘉手苅林昌、小浜守栄(マルフクレコード FM-224 1960)
1960年というのはレコード盤がSP(78回転)盤からEP(45回転)へと変わる年である。その前年には普久原恒勇らが、沖縄でのマルフクレコードを立ち上げている。大阪の太平丸福レコードから民謡レコードの拠点を本格的に沖縄に移す年となった。そして60年には普久原朝喜夫妻が来沖している。そしてその時、丸福レコード35周年記念として25枚の復刻盤(もちろんSP盤からの)をプレスしている。そのシリーズがレコードナンバーのFMである。SP盤がプレスされてすぐにドーナッツ盤が出たことになる。
さて、チンボラ節であるが、先輩の小浜守栄との合唱ということだが、どれが小浜守栄でどれが嘉手苅林昌だか分からないのである。ともあれ戦後の沖縄民謡を牽引した二人のデジタル音源が少ないのは残念だ。
「ワイド節」歌・坪山豊(ンナルフォンレコード FF-1017)
今や奄美新作民謡の代表作「ワイド節」の最初の録音が、沖縄のンナルフォンというのも妙というもの。奄美の新作民謡の本格的に幕開けを告げた記念的作品は作曲も坪山豊(作詞・中村民郎)で、言うまでもなく、活動範囲といい、レパートリーの広さといい、奄美を代表するウタサー(歌手)である。その坪山豊も79歳。ところがどっこいどうして元気ピンピンまだまだお呼びとあらば何処までも三線一丁で出かけていっては歌いまくっている。
我がいーやーぐゎーの三周年記念ライブ(4月12日)にも奄美からやって来て歌ってくれました。B面の「だれやめ」とは晩酌の事で、一人で静かに飲むというより、語らいながら大いに飲むというものらしい。
(※坪山豊の特別インタビュー記事はryuQ特集ページに掲載中です!)
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筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
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2009年03月09日
嘉手苅林昌+大城美佐子の琉球丸宮レーベルからのレアな1枚

今回は結構レアな2枚をご紹介。1枚は嘉手苅林昌と大城美佐子の琉球丸宮レーベルからの「仲間節/川平節」。そしてもう1枚が津嘉山京子と饒辺愛子と津嘉山笑美子による「汗水節」のこと。
「汗水節」歌、津嘉山京子、饒辺愛子、津嘉山笑美子
(マルフクレコード KF-194)
「汗水節」は1928年初代具志頭郵便局長の仲本稔氏が沖縄県学務部社会課が貯蓄奨励の歌詞を募集に当選。曲を沖縄を代表する作曲家・宮良長包氏がつけて発表された作品。いろんな人が歌って、音源も沢山あるが、饒辺愛子に津嘉山京子、笑美子姉妹の合唱はちょっと珍しい。もちろんデジタル音源にはなっていない。津嘉山京子?知らない?では、具志堅京子というと分かる人も多いのではないか。豊見城そばの女将さんで民謡歌手の。アクション三板のパフォーマンスの名手。津嘉山笑美子は妹で、津嘉山姉妹+饒辺愛子と、今で言うと異色ということになろうか。具志堅京子は子育てのために一度芸能活動から身を引いたが、2002年から本格的に活動を再開した。この音源は彼女の十代時のレコード。妹の方は今は歌っていないようだ。夜半参「仲間節/川平節」歌・嘉手苅林昌、大城美佐子
(琉球丸宮(リュウグウ) MR-505)
琉球丸宮(リュウグウ)というレーベルはレアなレーベルである。場所は糸満市にあった。嘉手苅林昌と大城美佐子も参加している。もともとは舞踊曲で、歌は舞台の袖から地謡として振り付けを見ながら歌っていくものだが、こと嘉手苅林昌と大城美佐子となると歌としての貴重な一枚となりそうだ。もしかしたらこれは踊りの練習のための録音かもしれない。男は士族で女は遊女。男が女にモーションをかけるが、自由のきかない遊女の身を理由に断られるが、ならばここで死のうとする。そこまで思いつめているのならということで男を押しとどめ、手に手を取って帰っていくというもの。「仲間節」は一言、サヨ暮らさらん
と語り、「川平節」の伴奏が流れる。そして男の言葉の歌詞をうけて女の語りが、尻取り歌のように返していき、物語が展開していく。昔から歌われている舞踊曲ではあるが、この二人だとその場でアドリブ風に歌っているように思えるから不思議だ。とあるリサイタルでの話。昼の部と夜の部の休憩の時間に嘉手苅林昌が酒を飲んでしまって、夜の部の「川平節」を尻を取らずに本当にアドリブで歌ったら、大城美佐子がこれまたその尻を取ってのアドリブで返して何とか帳尻を合わせた。舞台袖に帰って来て、大城美佐子はかんかんに怒って、嘉手苅林昌にしばらく口をきかなくなった。
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筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
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2009年02月09日
「下千鳥」(歌・嘉手苅林昌/マルテルレコード)ほか

今年は嘉手苅林昌さんが亡くなられて10年になります。私のレコード収集も氏のレコードを求めたことに始まります。故嘉手苅林昌のなるべくデジタル化されていないレコードのことなどを交えながらしばらくは語っていきたいと思います。お付き合い下さい。
「ちえーこーじゃー」マルフクレコード(歌・喜納昌永、山里ゆき子 FS-2 1959)
最近めったに聞こえなくなった「ちえーこーじゃー」。そういえば山里ユキ本人もデビュー曲でありながらなかなか歌わないようだ。曲も分かりやすく、内容も恋歌でデュエットにぴったりなのだが、やはりタイトルがの意味がよく分からないからなのか。それで前にその意味の由来を調べたことがある。東恩納寛惇の著作に「タイ語で白米のことをカオ・チャオと唱へていて、読谷村長浜でとれる白米をヨンタンザ・コージャーと呼んでいる」(ようするに米の一種である)と言う文章に出会った。タイトルを括弧で閉じて現代風のタイトルにすればぜんぜん歌える歌だと思う(そうまでしなくても大丈夫)。ともあれこのレコードは「マルフクレコードの初ドーナツ盤として発売され、ユキの美声は、ラジオから全流に轟き渡ることになりました」(2007年11月30日、山里ユキ芸暦45周年コンサート「命一ち・歌一ち」のパンフレットの普久原恒勇の文章より)という記念すべきレコードなのであります。
「下千鳥」マルテルレコード(歌・嘉手苅林昌 MT-1010 1965)
「ちえーこーじゃー」「嘆きの梅」「新里前とよー」は同じ日に録音された。嘉手苅林昌、喜納昌永そして山里ユキの3人は、本部から那覇までの車の中で練習して覚えてすぐ録音と言うから凄い。聞き覚えのある曲ならいざ知らずだ。しかし嘉手苅林昌となると録音スタジオで頭の中から歌を絞りだして、その場でうたを語っていく…
♪千鳥浜千鳥 ぬがし鳴ちどぶる
母ぬおもかげぬ 立ちど鳴ちゅみ
母ぬおもかげや まりまりど立ちゅる
ありがおもかげや 朝ん夕さん
千鳥浜千鳥 鳴くな浜千鳥
鳴きばおもかげぬ まさて立ちゅさ −下千鳥−
「下千鳥」は別れや悲しみを表現する歌で、歌への情け入れ、すなわち感情移入が重要である。♪千鳥浜千鳥、と語りかけながら絞り出しながら言葉に感情を滑り込ませる嘉手苅節は淡々と語りかけているようでも聴く人の心の中まで響く。数多い嘉手苅林昌のドーナツ盤の中でも名盤の一つだといえる。
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2009年01月12日
「正月かぎやで風」(島唄解説・小浜司)

あけましておめでとうございます。島唄解説の小浜司です。今回は正月ということもあり、「正月かぎやで風」を取り上げます。
「正月かぎやで風」(マルタカレコード TJ-43)
このレコードはSP盤をEP盤に復刻したもの。曲が6曲も収録されていて、ポツリとB面の1曲目にというか、B面の4曲が一鎖のように繋がっているのですが、最初にやはり「かぎやで風」となっていて、恩納節、中城はんた前節、渡りジョウ・江差節という風に歌われている。歌詞(琉歌)も正月にふさわしいめでたい内容となっている。序でながら、A面には繁昌節と稲摺節が収録されていて、歌・三線に船越キヨ、マンドリン・囃子に前川朝昭、囃子・糸数カメ、そして太鼓に嘉手苅林昌と今から考えると涎が出てきそうなメンバーだ。
さて、B面ですが、ここにも嘉手苅林昌参加していまして、マルタカでは珍しく歌(ヴォーカル)を担当しているので、やはりレアものといわざるを得ないでしょう。3人の合唱(もちろんモノラル録音)ですが、嘉手苅林昌の声が目立っている。正月には良い一枚かもしれない。
「正月かぎやで風」歌・演奏=ゴモングループ(ゴモンレコード GS-2)
沖縄にはそれこそ沢山の古典音楽研究所や民謡研究所があるのですが、新年の弾き初めには必ずと言って良いほどこの歌が歌われるはずなのですが、最近ではそうでもないようで、良いか悪いのかはよく分からないが、見本となる音源が少ないように感じる。形式的にするというよりも気を引き締めるということで、やはり一年の初めにはこの歌、この歌詞から始めるとしゃきっとするような気になるものですがいかがでしょうか。
ところで上のマルタカ盤もこのゴモン盤も歌詞を間違えているのが気になるので訂正して少し解説を加えたい。
マルタカの歌詞;あらたまる年に たんと くーぶかざて
心からしがた 若くなゆさ
ゴモンの歌詞 ;新たまる年に 炭と昆布飾て
心から姿 わかくなゆさ
どちらも、あらたまる年と書かれているが、「あらたまの年」が正しいといえよう。あらたまとは掘り出された、まだ加工されていない玉のことで、新玉と当てる人もいるみたいだけど、ひらがなの方が良いのかもしれない。「あらたまの」とは年、月、春のどの枕詞で心が改まるわけである。昆布はよろこぶと掛けて縁起をかついでいる。炭と昆布で、たんと喜ぶという語に引っ掛けている。新年になると、炭と昆布を飾って、たんと喜ぶという縁起を祝って気持ちを新たにして、心も姿も若返る気がする。
まあせめて正月だけでも気持ちを新たにして心を若返らせたいものですね、今年もよろしくお願いいたします。
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筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
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2008年12月08日
琉球民謡「孝行の唄/交通安全の歌」という不思議なレコード

今回は不思議なレコード。“同じであって同じじゃなくて、やっぱり同じレコード”を紹介してみましょう。沖縄音楽コレクター・(故)和田正次さんを追悼しつつ。
琉球民謡「孝行の唄/交通安全の歌」
(マルタカレコード TE-1066)
ここに2枚のレコードがある。レーベルが一緒で、レコード番号も一緒で、曲目も一緒だが、ジャケットの写真が違う。一枚目は、まあ、マルタカのレーベルの共通のジャケットで、でいごの花の写真。沖縄音楽(レコード)に興味のある方なら一度は見た事はあるであろうジャケット。もう一枚はというと、見ての通り、若き頃のフォーシスターズの4人の写真が縦横に並んでいる。ジャケットの下に「伊波貞子フォーシスターズ」と印刷されているということは、このレコードの「孝行の唄/交通安全の歌」はフォーシスターズが歌っているということになるのですが、さにあらず。私が以前国際通りで、島唄カフェまるみかなーという店をしていた時のこと。昼過ぎの誰も居ない時を見計らったように、図体のデカイ男がレコードとカセットテープを多数携えてやってきた。挨拶もろくに交わさずにレコードと沖縄音楽の話を始めてきた。その知識の豊富さとディテールに及ぶ言及には驚かされずにはいられなかった。沖縄音楽にもコレクターがいるというのを思い知らされた。私が彼の名前を和田正次だと覚えるまでには3、4回は店に顔を見せていただろうか。彼が亡くなって1年が経った。そう去年の12月5日、孤独死というか、一人アパートで亡くなって、我々がその死を知ったのは年の瀬も迫るころではなかったか。
その和田さんが、フォーシスターズのレコード(EP)を何枚か携えて、「いやー、小浜さん、フォーシスターズは良いですよね」確か前にも買ったと思うけど、ジャケットが違うんでまた買ったよ。と、見せたのが、すなわちこの問題のレコードである。タイトルを覚えているとは凄い。しかし中身は未だ聞いてないようだ(どちらも)。このレコード、実はフォーシスターズのレコードじゃないのだ、と指摘すると、さすがの仏顔の和田さんも困惑気味の顔をして、ジャケットを取り出してみて、本当だ、とうなずいた。そして一言「沖縄らしくていいですね」ときた。レコードの中身はフォーシスターズではないということをターンテーブルにて二人で確かめた。もう4年くらい前のことだと記憶する。このレコードを見ると、つい和田さんを思い出してしまう。コレクターの心意気を目の前で語られると、地元の我々はもっと頑張らねばといつも励まされたものだった。その和田さんの貴重なコレクションを東京の沖縄ファンだと称する団体が預かり、どうも四散したといううわさを耳にした。そういう事はあってはならないことだと祈りたい。合唱!
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2008年11月10日
厳選・沖縄のこの1枚「喜劇の女王・仲田幸子」編

今回は喜劇の女王・仲田幸子のレコードとDVDにスポットを当ててみた。ダイナミックという点では映像に劣るが、想像力を掻き立てるにはレコードも一興だ。
DVD「劇団でいご座・仲田幸子 母の日特別公演」(沖縄レコード商事 ORDV-001 2008)
戦前戦後沖縄島唄(=民謡)への沖縄芝居の影響は計り知れないものがある。芝居の中の挿入歌がそのまま流行歌となり、レコード化され、鑑賞される。もちろん、有名な例えば古くは「泊阿嘉」や近くでは「丘の一本松」などの芝居はレコード化されたりしてお茶の間でも鑑賞されていた。映画やテレビなどの出現により、芝居、特に沖縄芝居は片隅に追いやられて久しいが、最近では「母の日」や「敬老の日」公演さえも興業的に危ぶまれている状況である。
かつての名優たちが次々と姿を消していき、世代交代が確実に進む中で若手と呼ばれる役者たちへの期待は大きい。劇団「でいご座」の今年の母の日公演のDVDがこれで、娘の仲田和子、仲田明美はもちろん、孫の正江らの親族でキャストを固め、普久原明や高宮城実人、上間基と若手の演技が際立つのも御年75歳になる仲田幸子の舞台あってのこと。映像で沖縄芝居を観たい(勉強したい)方にはダイナミックにウチナーグチ(沖縄語)が迫ってくる。(日本語訳を私が受けました。)
「劇団でいご10周年記念『立奉る』仲田幸子のお笑い」(山水商事 TIL-1001 1965頃)
戦後あれほどまでに興隆していた沖縄芝居劇団一座が衰退し、消失していき、1980年代には劇団「でいご座」のみが唯一公演を打てる劇団として残ったのであった。
仲田幸子、1933年10月10日生まれ。長堂英吉著「鼓太平記」(月刊沖縄社)によると、仲田(比嘉)幸子は樽皮職人で芝居好きであった父の影響で幼い頃から三度の飯より芝居が好きだったという。本島中部の石川で終戦を迎え、母は死に、父とは別々に暮らし、幸子兄弟は親戚の家に厄介になった。子守や家事手伝いの傍ら、金城の石川劇場にヌギバイ(きせる)で毎日のように芝居を見に行っては叱られていたという。15歳のとき南月舞劇団に入団。といってもチョイ役とほとんどは炊事洗濯、薪拾いの雑用係であった。同じ劇団にいた仲田竜太郎(役者、脚本家)と結婚し、その後いろいろな劇団を渡り歩き、1956年「仲田竜太郎一行」をスタートさせ、そして65年「劇団・でいご=仲田幸子一行」と解明し再始動した。沖縄庶民の典型としてファンを増やしていった。
このレコードでは往年の仲田幸子が、即興芸としてのガラガラ声のセリフを機関銃のように響かせ、それに負けじと南洋一や金城とし子の話芸も聴き事。今だから価値の出る一枚かもしれない。
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2008年10月13日
厳選・沖縄音楽(10月号)「小浜守栄」特集

今回は戦後沖縄民謡黄金期を築いた最大の貢献者の一人である、小浜守栄のシングルレコード2枚を紹介したい。
「月と涙」 歌・小浜守栄(マルフクレコード FS-9 1960)
このレコードは、まあいわゆるA面に「四季の喜び」、そのB面が「月と涙」で、2曲とも新作民謡と銘打って、小浜守栄の作詞作曲であり、もちろん歌も本人である。A面の「四季の喜び」には伴唱者として嘉手苅林昌が加わっている。二人は幼なじみで、一歳年上の小浜守栄は学校へ行くのにも嘉手苅林昌を誘って通っていたという仲だ。青年時代はエイサーの地謡なども嘉手苅林昌を誘い出していた。戦争という大きな出来事があっても南洋で再会、また復員してきての沖縄寮にて再再会と、押し寄せる運命の波は異なろうとも、再会するたびにその友情を三線で確かめ、涙するのであった。小浜守栄という最近ではまったく忘れ去られた戦後沖縄民謡の巨人の名曲中の名曲がこの「月と涙」である。小浜守栄の歌う本曲は多分デジタル化はされてないと思う。嘉手苅林昌が歌う、「嘉手苅林昌特集」(マルフクレコードACD-8 1990)に収録されている。しかし、いいですよ、時代とオリジナルはやはりすばらしいのだ!
♪夢どまたやたみ 朝夕我が思い
(いつも心に思っていた事は夢であったというのか
露と消いはてて 涙びけい
(露となり消え果て涙ばかり流す —月と涙より—)
「アキトーナ・ウミヤカラ」歌・小浜守栄(マルフクレコード FS-21 1962)
戦時中、南洋にて召集され、中国大陸を行軍に明け暮れ、捕虜となり、やっとの思いで沖縄にたどり着いたら、目の前の沖縄は変わり果てていた。ただ単に地上の物物が破壊されたということだけではなく、ウチナーンチュの心も荒廃そのものだと感じた。沖縄の「うた」を歌い、うたを通して沖縄の精神を復興させたいと強く感じていた小浜守栄は遅れて帰ってきた嘉手苅林昌を伴い本島各地を歌い駆け巡るのであった。常に沖縄島歌のリーダー的存在としてその発掘研究に情熱を傾けたが、それは表現者としては大いなるサポーターとして立ち回った。沖縄社会が少し落ち着いてくると早々に一線から身を引いた。
♪行逢ゃて恥じかさやよ
昔ぬ元びれ小
恥じかさやあてんよ
まじ一目や目欲さ アキトーナー
(—アキトーナーより—)
あらっ、向こうからやってくるあの人は私の元彼。
恥ずかしくて、すれ違うときにとても目を向けられないわ。
でもやっぱり、一目だけでも…
続きを読む
2008年09月08日
厳選・沖縄音楽(9月号)「白雲節」「時代の流れ」編

今回はありそうでなさそな故嘉手苅林昌の代表曲2曲のレコードを見てみることにしよう。
「白雲節」歌・嘉手苅林昌(ゴモンレコード GS-42)
「白雲節」といえば島歌ファンならば誰でも知っている曲でしょう。例えば沖縄音楽ファンによる、好きな曲投票をしたとしてもベスト10には入る曲ではないかと思う。ではそのレコードは?というと、なかなか探せない。民謡レコードの全盛期の頃、ラジオの放送もジュークボックスもシングルレコードが圧倒していた。LPレコードのほとんどは(それが個人のであっても)シングルのオムニバス集と考えても良い。さて、白雲節のシングルは私の知るところこの一枚である。あとはヤマトのメジャーのLPに収録されていたり、個人のLP(アルバム)の付録的に歌われていたりするくらいだ。今から考えると不思議に思えるものだ。とにもかくにも「白雲節」最初の音源ということになりますか。
「時代の流れ」歌・玉城安定(マルフクレコード FF-13)
歌・奥間政文(マルタカレコード TE-1047)
「時代の流れ」は嘉手苅林昌が若い頃、首里の山川町のバス停でバスを待っていたとき、近くで話していたおばさんたちの会話が面白くて歌にしたという話は有名だ。であるからにして、嘉手苅林昌が最初に歌ったはずなのにその音源はというと、無い。ラジオでは故玉城安定の歌う「時代の流れ」(曲は花口説)がヒットした。後々になって本家本元の嘉手苅歌う「時代の流れ」はあの飄々とした歌声でオリジナル(?)音源を凌駕していった。
ところが、である。もう一方に奥間政文という個性派の歌う「時代の流れ」があって、これがまた人気があった。時代の流れは、今ではいや、かつても嘉手苅林昌の代表曲であったが、玉城安定の代表曲でもあり、かたや奥間政文の代表曲でもあった。今、こうして聴き比べてもどちらも甲乙つけがたいのだ。時代というフィルターを三人の個性で歌い分けた「時代の流れ」という歌はやはり沖縄という特殊な時代の流れから出てきた歌ということでしょう。ぜひ聴き比べしてもらいたい音源である。 続きを読む
2008年08月11日
厳選・沖縄音楽(8月号)「ナナサンマル音頭」「マリー」編

また今回もレアな2枚のシングルを紹介しましょう。
「ナナサンマル音頭」歌・屋良ファミリーズ(音工レコードEOO-002 1978)
2008年7月30日、夜。東京の友人から電話があった。
「今日ナナサンマルだね、今ナナサンマル音頭を聞いているの」そうだ、朝までは覚えていたが、忘れてしまっていた。あの交通方法の変更から30年が経ったのだ。
さて、私の手元には当時の琉球新報の夕刊がある。1面トップに「7・30大荒れのスタート」とし、写真は前日の前日と当日の58号線泊港務所(現在のトマリン)付近の一夜にして逆流になっている車の群れの写真を上下に並べている。そういえば、私はといえば、その日久茂地交差点にて交通量調査のアルバイトをしていたのだ。目の前の車が次々と接触事故を起こした、文字通り大荒れのスタートの目撃者となっていた。
バス事故が相次ぐとの記事に、当時の斉藤隆県警本部長は、いちがいに7・30に関係あるかどうかについては言えない、としている。目撃者として証言させてもらえば、7・30と大いに関係あるのだ。沖縄タイムスの朝刊には“交通革命”けさ突入 強いられた「本土化」との見出し。
その頃ラジオから屋良ファミリーズ歌う「ナナサンマル音頭」がよく流れていた記憶がある。そして沖縄音楽が沖縄内で元気をなくしていったのがまさにその頃であった。そういう意味でもこの音源は歴史的なレコードかもしれない。東京のわが友人は「あれはビギンの***という曲に似とるぞ」とも言っていた。
「狂い咲きライラック」歌・マリー(CBSソニー 07SH-921 1981)
マリーの人気の絶頂は79年だと記憶している。金武のキャンプハンセンの向かいの米軍のバー街のライブハウス・メデューサ(確かそうであったと記憶する)にて、海兵隊相手にハードロックをうならせ、舞台に追い縋るでかくて筋肉りゅうりゅうたる若い兵隊達を皮のパンタロンにハイヒールで蹴散らす姿は格好よく、すがすがしく見えたものだった。
そのマリーがメジャーデビューするという。悪い予感がした。沖縄ロックファンとしては。というのも、当時、喜納昌吉、知名定男、紫そしてコンディショングリーンなどの実力者たちが次々にメジャーに跳ね返されていた。
そして、阿木耀子、筒美京平の黄金コンビでソニーからそのレコードは発売された。やはり我々には消化不良であった。マリーらしさというものが微塵も感じ得ることができなかったから。私の中で永い間封印していたレコードだ。
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2008年07月14日
ryuQ100歌7月号「新垣さゆり、照屋政雄」編

今回は不思議なレコードを2枚紹介しましょう。
「恋し里前」歌・新垣さゆり(BCYマルフクレコード FF-1009 1983)
最近私が最も注目している若手歌手は村吉茜である。つい一週間前に私の店でライブをして、弱冠19歳にして、あの喉あの声量なかなか普通ではそうはいかないと改めて感心した次第。初めて彼女の歌を聴いたのは彼女が高校1年生の時。なんとませた声をしているのだろうと思った。やはりDNAのなせるワザかもしれない。彼女のおじいちゃんは沖縄芝居界でも有名なトゥックイ小ノリーこと、新垣則夫氏。三枚目の役ではピカイチの役者。母親も叔父さんも歌手という環境に育ったサラブレッド・村吉茜は17歳の時、ラジオ沖縄新唄大賞を受賞した。これは中々大してすごいことですぞ、本当に。
さて、ここに取り出したるは、その村吉茜の母親・新垣さゆりのレコードである。このレコードは私のレコード棚に眠っていて、指摘されるまでは知らなかった。今回聞き直して、声質は争えないと思った。18歳の時にレコーディングしたというのにしてはやはり老けた声である。昭和57年沖縄テレビ民謡大賞ゴールデン新人賞受賞記念盤というこのEPレコード盤を聴くと受け継がれるべき言霊の奥深さを感ぜずにはいられない。彼女はもう一線から遠ざかっているが、娘の茜は今将に伸び盛り。そして母親のオリジナルである「恋し里前」を自身のアルバムに収録しようと格闘している。
「流れの渡り鳥」歌・照屋政雄(マルフクレコード FF-320 1988)
遅れてきた渡り鳥・照屋政雄は今最も勢いのある歌手の一人である。とはいっても彼の場合、ある独特なマイペースというものがあり、それ故損をしたところも少なくはない。ともあれ、今年の9月には大きなリサイタルも控え、また近々映画の撮影も控えていて、やはり忙しくて忙しくないペースの照屋政雄のレアなレコードを一枚取り出してみた。
まず、一見してこれは何だ!と思わす一言声が出てしまうジャケットである。落ち着いてみると、ああ照屋政雄だ、と感じ入るのだが、小林旭の渡り鳥シリーズを意識したであろう歌詞の内容とジャケットのデザインは照屋政雄の笑顔によって、単なる皮肉ではなく本当に映画と歌がすきなのだなと見る人(聴く人も)を安心させてはくれる。というのも、背中にちらりと見える三線にふと許してしまう、我々の心のツボを心得てる風を装うのは彼の韜晦かもしれない。
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2008年06月09日
厳選・沖縄音楽(6月号)「古典の心」「大浜みね独唱歌集」

今回は私が復刻を望む2枚のアルバム、すなわち、安富祖竹久の「古典の心」と大浜みねの「大浜みね独唱歌集」を紹介したい。
安富祖竹久「古典の心」(RBCレコード RML-1004 1970年)
2007年、私は金武良仁全曲集「名人の呼吸が聴こえる」という二枚盤復刻CDアルバムをプロデュースした。SP盤レコードを蓄音機で再生させ、録音した。三線の抑揚と声の抑揚とのバランスの微妙さが実にすばらしく、まさに名人の呼吸というものはこういうものだと感動した。
安富祖竹久(1915〜1990)のアルバム「古典の心」はどうしても復刻してもらいたい一枚だ。古典音楽のことをいろいろ書くと、ボロが出そうなので少し控えて、とにかくゆったりとした中でも音が全くぶれない。それは当たり前なのでありますが、普通のぶれなかたではない。低音も高音も限界がないように余裕で発声する。1970年の録音というからまあ絶頂期の録音といってもいいのかもしれない。その後野村流古典音楽保存会会長に就任し、名人ぶりを発揮したことはあえて説明の必要なないでしょう。
とにかくここに名人芸の足跡があり、これを鑑賞できるのだから、その復刻は少なくとも私は待望して久しい。
'76民謡大賞受賞記念「大浜みね独唱歌集」(マルフクレコード F-34 1976)
八重山民謡の女性歌手といえば、真っ先に大浜みねの名前が浮かぶ。八重山古典民謡の最大の功労者で夫の故大浜安伴を影で支えながら女性歌手の手本として歌い続けてきた、大浜みねのこれまた絶頂期のアルバムがそれである。
1969年、NHKのど自慢コンクールで日本一になった宮良康正の囃子を受け持ち、全国的にも注目された。そして76年、民謡大賞を受賞し、その年に記念公演も行っている。このアルバムはどこをとってもどこから聴いてもすばらしいのだ。とばらーま、つぃんだら、でんさー、脂が乗り切っているというのはこいうアイテムにいうのだろうと聴くたびに感動している。本当にレコードもジャケットもテカテカに光っているように見えるから不思議だ。
希望的結論からいうと、復刻されることなく、自分ひとりだけでイヒヒと聴いておきたいアルバムだが、しかし沖縄音楽の財産として大浜みねの全音源といわないまでも、せめてこのアルバムは復刻してもらいたいものだ。
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2008年05月12日
ryuQ100歌5月号「玉城一美、金城洋子」特集

今回のryuQ100歌5月号では「探しているのになかなか見つからないぞ」とよく聞くレコードを2枚取り上げてみました。どちらも後々本人がデジタル録音しているのではありますがご紹介しましょう。
「女童花染小」歌・玉城一美、玉城清美
(マルフクレコード
KF-324 1979)
玉城一美、清美姉妹が29年前に発表したシングル。作詞・上原直彦、作曲・知名定男のコンビ。数え歌仕立ての歌の各連の最後に「思てぃくぃりよー かなさしよ(思ってください 愛してください)」というリフレインが耳に残りとても覚えやすい歌だ。私の店でも探しても見つからず聞かせてもらいたいという曲の三本指には入りそうだ。またジャケットがいい。戦後沖縄を代表する歌手の一人・故玉城安定の娘二人。いまや中堅女性歌手のこれまた代表的存在の玉城一美と、かたや今では一線から離れている妹の清美とが並んで微笑む初々しい姿は玉城一美ファンならずとも沖縄音楽のファンなら欲しいジャケットではないか。そして二人のコーラスは聞き応え十分過ぎるほどこれまた初々しいのである。1997年にリリースしたアルバム「天縁」(ディスクアカバナー)ではその完成された「女童花染小」を歌っているが、レコードというものはその18年前の歌声を聞くことができるのです。
「にーびちすがやー」歌・金城洋子
(BCYマルフクレコード
FF-1007 1982)
タイトルの「にーびちすがやー」は「結婚しようかな」という感じの意味。この楽曲も作詞・上原直彦、作曲・知名定男の黄金コンビ。金城洋子は現在沖縄民謡界の重鎮・金城実の娘。彼女はこの歌の通り本当に結婚してしばらく歌の道から離れることになる。ところで、レーベルが気なるところである。ジャケットにはBCYマルフクレコードとあるが、歌詞の方を見ると制作・BCYンナルフォンとある。BCYンナルフォンは(有)キャンパスのレーベルで今でも沢山の沖縄発CDをプロデュース及び販売しているキャンパスレコード。BCY(びーしーやーと読む)はビセカツ(代表者)の実家の屋号。
ンナルフォンは代表に担ぎ上げられた金城実のミノルをウチナーグチ風に発音するとンナルとなる。メジャーのミノルフォンならず、ンナルフォンてな具合。また、ンナルーには何も持っていない、体身一つという意味もある。BCYマルフクというのは未だレーベル=ンナルフォンが確立されてない頃のレコードだということになるのか。しかし“ん”から始まるレーベルの発音は難しいのでは?
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2008年04月14日
ryuQ100歌4月号『奄美しまうた名盤特集』

今回は奄美アルバム3枚を取り上げてみました。奇跡の喉とか地上で最も優しい声とか言われて、最近注目をあびる奄美音楽=しまうた。ここに挙げる3枚は奄美のしまうたの原風景が詰まっている。
*奄美大島民謡・南政五郎傑作集(セントラル楽器 0-27)
奄美島唄の第一人者・南政五郎(1899〜1985)のアルバムを何時手に入れたのか記憶にない。何年もレコード棚にしまっておいて、ある日、こんなレコードもあったっけ、と針を落として凄いと感じたのは90年代に入ってからであった。何が凄いか、その悠長な節回しには、やはり時代の重さをその吐息から感じることができるということか。戦後の奄美群島の日本復帰(1953)以前に島々を歌い歩いて、島人のアイデンティティ深め、第一人者としての名声を得たが、初レコーディングは10年後。このアルバムはそれから10年後の氏が75歳のとき。前回の録音に新録5曲を加えてのLP盤は聴きごたえ十分だ。
*奄美民謡・坪山豊名演集(マーキュリーレコード JL-813)
奄美民謡ファンで坪山豊の名前を知らない人はいないだろう。あの有名な「ワイド節」が氏の作曲ということを知っている人は沖縄では少ないかもしれない。その坪山氏が伝統船建造術保持者としてはどうだろうか。ライナーノーツによると、幼少時から三線になじんで育ったが、民謡界へのデビューは42歳を過ぎてからであるという。1972年9月に開催された「実況録音奄美民謡大会」に友人のすすめで出場したのが初舞台。翌年には「坪山豊傑作集」なるアルバムもプレスされてその名が広く知られるようになった。1980年に名瀬市での「第一回奄美民謡大賞」にて大賞を受賞して、坪山節の完成を印象付けたという。その直後のアルバムがそれだ。ワイド節が初々しい。
*奄美民謡・武下和平傑作集(セントラル楽器 0-32)
坪山豊が遅咲きなら武下和平は早くから頭角をあらわした。16歳で初舞台を踏み、26歳の時には東京にて文部省主催の「芸術祭民俗芸能大会」に出演。その翌年にはファーストアルバムを出している。土着の響きの坪山節に対して華麗な武下節はほんの少し前の両横綱だった。貴島康男や元ちとせなどの若手の出現により、奄美民謡が全国的に知られるようなったが、今の若手のうたしゃ達の出発地点であり、目標が武下和平であり、坪山豊である。もちろん CDのデジタル音源も多数出回っているが、当時のレコードで聴くのも一興というもの。
●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73392.html
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2008年03月10日
厳選・沖縄音楽『ryuQ100歌・3月号』

「荒木栄代表作品集」音楽センター MLS-1001「沖縄を返せ」という歌をご存知でしょうか?もちろんですよね。では、誰が作って誰が歌ったのでしょうか?やはり大工哲弘?いやいや、実はこの作品は“うたごえ”が生んだ労働者作曲家「荒木栄代表作品集」というLPの16曲の中の一曲であります。A面の5番目に収録されております。作詩は全司法福岡高裁支部が担当したということです。ライナーノーツによると、1956年、第3回九州のうたごえ祭典(大分市)で九州最初の創作発表会が開かれ、大衆投票で第1位となった「沖縄を返せ」の歌が暗すぎるという声が出たため、全九州合唱団会議の要請によって作曲者が同じ詩を行進曲ふうに改作したものということです。
私個人的にはどうも好きになれない歌詞とリズムではありますが、大工哲弘などが歌うとなぜかつい口ずさむほど時代の流れのなかで歌われたものだということを認識せざるを得ません。
「あじさい色の雨がふる」歌・流さとし ウインザーレコード AW-0015前回沖縄演歌と関連のあるレコードを3枚掲げましたが、私が最初に手に入れた演歌のレコードを紹介するのを忘れていました。流さとし(現在・琉智)歌う「あじさい色の雨がふる」であります。沖縄の日本復帰に確か前年、街には「沖縄を返せ」の歌が響き渡る頃、私はまだ中学生でありました。家業のクリーニング屋を手伝わされていた時、確か琉さとし本人だと思いますが、訪問販売で売り歩いているのを母に買ってもらったのです。後に私は彼の30周年記念コンサートの舞台監督をつとめるのですが、その時の打ち合わせで私が氏のレコード持っているがジャケットを失った事を伝えると、数少ないかつての一枚を持ってきてくれました。
「ヤミオバー」歌・中本ツトム RBCレコード RM-501 1978中本ツトム歌う「ヤミオバー」とはかつて(復帰前)のヤミタバコ売り(だいたいがオバーであった)の悲しい物語。そもそもヤミタバコといっても今の若者達には分からないかもしれませんが、要するに基地の中で売られている免税タバコを仕入れて、正当でない価格で取引すること。副題に「ヤミタバクゥ追放運動テーマソング日本専売公社未公認」とある。ここまで行くと皮肉というより、おちょくりといった方がいいかもしれません。なるほど、プロデュースはキャンパスレコードのビセカツでした。
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2008年02月11日
ryuQ100歌[2月号]は『♪沖縄演歌特集』
![ryuQ100歌[2月号]は『♪沖縄演歌特集』](http://img01.ti-da.net/usr/ryuq100/ryuq100_b_0802.jpg)
今回は、沖縄演歌をテーマにしたレコードを3点あげてみました。
「海洋博ユンタ」三橋美智也 「オキちゃんマーチ」今陽子キングレコード K-108
沖縄の演歌人口は多い。私の母など沖縄島唄はほとんど聞かないが、演歌、得に三笠優子のファンで、私に対して「お前は若いのに民謡なんか聞いてどうするのか」といつもたしなめていた。演歌のカラオケ教室は結構繁盛しているようだし、レコード会社の専属演歌歌手のメシのタネには困らないようだ。沖縄出身の演歌歌手も他府県と比べると人口密度からすると上位にランクされるのではないかと思う。昭和40年代後半、すなわち日本復帰から海洋博にかけて沖縄県内において沖縄音楽が盛んになった。民謡はもちろんのこと、沖縄を題材にした演歌も盛んに歌われ、沖縄出身の演歌歌手が多数現れ沢山のレコードが出回った。もちろん中央の歌手も沖縄をテーマにした歌を歌った。美空ひばり、島倉千代子などの有名どころも競って歌ったりした。
ここに紹介する「海洋博ユンタ/オキちゃんマーチ」はA面に三橋美智也歌う、海洋博(作詞・横井弘作曲・遠藤実)B面に今陽子歌う、オキちゃん(作詞・あさひな知彦作曲・小林亜星)と当時とすれば相当な売れ筋路線だ。オキちゃんマーチは海洋博のいるかのオキちゃんショーのときに流れてよく耳にした覚えがある。「糸満浜育ち」歌・山内たけし
ビクターレコード TES-1002
故嘉手苅林昌らとならぶ戦後民謡歌手の巨人の一人である山内昌徳の二代目・山内たけしは鳴り物入りで演歌界にデビューした。今風に言うとイケメンでスタイルがよく、声も良ければ二代目サラブレッドというところだ。マルタカレコードも結構力を入れていた。時代は沖縄島唄も沖縄演歌も受け入れる素地はなかったようだ。ともあれ「糸満浜育ち」今聞いてもかつてラジオから流れた懐かしさがこみ上げてくるのはなぜだろう。
「沖縄天国」歌・南株間(ナン スーチェン)ミノルフォンレコード PR-172
先日、我が島唄カフェいーやーぐゎーにて、城間ヨシ・バースデーライブ「トーカチに歌う」というライブを催した。88歳のヨシさんの歌声には聴いているお客全員がひれ伏すほど歌えば歌うごとに力強くなっていった。三度のご飯より歌うことがすきで歌こそが若さの秘訣という彼女の言葉には説得力があった。南株間歌う「沖縄天国」、1984年のプレスというが彼に関する素性などの情報は私は持っていない。しかしこの歌は一度皆さんに聞かせたいと思うレコードの一つである。歌詞を少し紹介しよう。
♪めんそーれと鳴く こおろぎ横丁 待っていたわと 松山横丁
若さにまかせて 若さの通り 年貢納めは 高砂殿
曲もなかなかなものですぞ!
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2008年01月14日
正月のあやぐ/国吉源次 (ryuQ100歌・1月号)

「正月のあやぐ (国吉源次)」マルフクレコード FFG-52008年になりました。平成になって20年ということで、ついこの間、平成になったと思ったら、今年成人を迎える人は平成生まれとなると、今さらながら時の流れの速さを感ぜずにはいられない。
今回紹介するレコードは国吉源次のアルバム「正月のあやぐ」である。このアルバムは私自身大好きで、何度も何度も聞いたものであった。ジャケットがシーサーの版画のデザインで、C.YONAHAとサインされている。あの与那覇朝大の作品だ。国吉源次といえば、宮古民謡の代表的歌手であるということは皆さん承知のこと。1930年生まれ。今年78歳。おばあさんの背中で子守唄代わりに聞いて習った宮古民謡。
「おばあさんは歌はうまいほうではなかったけれども歌の数では誰にも負けなかった。おばあさんの影響は大きいです」(2004年12月)と幼い頃を振り返って微笑む姿はジャケットのような屋根の上のシーサーのきりりとした風貌はなかった。そんな国吉源次が小学校3年の頃、最初に熱中して覚えた民謡が「正月のあやぐ」というからすごい。
♪正月ぬ参(んみゃ)たりゃどうよーホーイ
新年ぬ参(んみゃ)たりゃどうよー
ゆったりとゆったりと「しょーがーつーぬー」と流れるリズム。再び国吉源次の言葉から
「宮古民謡は沖縄民謡や八重山民謡に比べても決して負けない色んないい歌があるし、旋律もこんなすばらしいものは他にない。それを歌い継いでいくのが精一杯だよ」
ではアルバム「正月のあやぐ」の収録曲を見てみよう。
A面
正月のあやぐ、白馬のあやぐ、かにくばた、米のあら
B面
ばんがむい(子守唄)なますのぐう、中立のみが小、内根間のかながま、長山底
A面2曲目の「白馬のあやぐ」は、作詞・国吉源次、作曲・普久原恒勇である。まだ確認したわけではないが、それはこのアルバムにしか収録されていないのではないか。国吉源次が生涯をかける歌と称する「伊良部トーガニー」はこのLPにはない。しかし若き国吉源次の歌に対するひたむきなまでの態度が感じられるのだ。その意味でも名盤といえそうだ。生活は楽ではないけど自分にはこれしかない、いつもいつも自分に言い聞かせて歌い続けてきた国吉源次の歌に今年の正月はつい耳を傾けてみた。
●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73392.html
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2007年12月10日
「平和の歓び」「平和の花」「センスルー独演名選」

「平和の歓び」(RBCレコード RM-111)「平和の花」(マルフクレコード FF-28)
平識ナミ作詞、普久原恒勇作曲した、平和シリーズ三部作ともいいましょうか、「平和の願い」「平和の花」そして「平和の歓び」のレコードがあり、ともに70年代にヒットし、ラジオからもよく流れていた。そのほか「平和節」「平和の鐘」などという音曲もあり、最近ではサザンオールスターズの「平和の琉歌」をネーネーズが歌って話題となったことも記憶に新しい。やはり先の大戦で壊滅的な打撃を受けた沖縄の庶民が如何に平和を願ってきたということがこれだけでもよく分かるものだ。故玉城安定民謡研究所歌う「平和の願い」はデジタル音源に復刻(チャンプルーシングルス 東芝EMI1998)されたし、娘の玉城一美も自らのアルバムなどで歌っている。同じ録音の「平和の歓び」は今ではほとんど聞くことができなくなってしまった。ということは沖縄の庶民は平和の歓びを今だかみしめてないのかもしれない。歌詞の2番目に
苦しみん忍で 暮らちちゃる沖縄
今や日ぬ本ぬ 光うきて我島沖縄
日本に復帰すると平和の喜びに浸れると思っていたが、基地がなくなるどころか相変わらずの基地被害に悩まされるという危険と隣り合わせの現実。ということは「平和の花」が咲いたと思っていたことも幻想でしかなかったということか。フォーシスターズ歌う「平和に花」では、でいごの花と桜の花と、一元となって栄えてゆこう、と歌っている。世相の反映としての島唄、その時代の中で歌われた、を後に聞きなおしたときに見える幻想と現実の歪を捉えなおすことも必要なのかもしれない。
「センスルー独演名選」(沖縄レコード ORL-1007)喜劇の王様池原センスルーを偲ぶ決定盤!と銘打って、「スーヤーぬパーパー」「職業口説」「センスル節」「口説ベーシ」の4曲を収録。小那覇ブーテンや照屋林助の笑芸に興味ある人なら一度は聴いてみたいと思っていることだろう。大正15年より芝居の世界に踏み入り、戦争直前、劇場が日本軍に接収されるまで珊瑚座などで活躍した。彼の「センスル節」は大好評であだ名まで池原センスルー(本名は池原靖治)と呼ばれるようになった。戦後は糸満町の区長として信頼を得たが、再び俳優の生活に戻った。日本復帰の前年病で逝去した。氏の漫談などの笑芸をあらためて聴いてみるとウチナーグチの表現の多様さに驚かされる。

筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
島唄カフェいーやーぐゎーHP:http://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/
2007年11月12日
ryuQ100歌11月号/夫婦節/貴島康男

「夫婦節」マルフクレコード KF-60 1974昭和10年、普久原朝喜作とされる(録音は16年か?)「夫婦節(みいとぅぶし)」は男女掛け合いの元祖的ラブソング;
♪かやぶちややてぃん(茅葺のボロ屋でも)頼む思里がかなさすんやりば(貴方の大きな愛があれば)我ンネー イッペー 果報ナムン(私は本当に幸せです!)
玉城安定、兼島米子のデュエットのこの歌は戦後最大のヒット曲の一つ「二見情話」のB面として発売され、両面とも好評を博した。「二見情話」はその後いろいろな歌手によって歌われているが「夫婦節」はあまり歌われていないのは何だかもったいない気がする。古き良き沖縄のノスタルジーを喚起させることは民謡という歌の力といえよう。
♪里と語らいば 心配事ん忘て
交わす云言葉ん 嬉し事びけい
「夫婦船」マルフクレコード KF-103 FF-11“夫婦”ものといえば「夫婦船(みぃとぅぶに)」とイメージするほどに聞かれ歌われている。民政府発行「今日の琉球」(昭和38年)紙上でハワイ在住の比嘉盛勇作詞の「夫婦船」の作曲募集に亀谷朝仁が応募して採用されたのがこの楽曲である。当時女性歌手の人気、実力とも代表格の石原節子がレコーディングしてたちまちにして大ヒットとなる。後に亀谷朝仁本人も録音して氏自身の代表曲の一つとなっている。今では結婚式などではもちろん、カラオケなどでも最も歌われる歌の一つであることは言うまでもなさそうだ。
「ピンポンズ/おかげさんです。LIVEです」奄美レコードAMAMI-0001大阪の琉球フェスティバルの会場で久しぶりに貴島康男に会った。相変わらずのやっぱり貴島康男であった。沖縄でライブしようと約束して、早速日程を調整。12月1日(土)に決定した。ここに紹介するのは貴島康男がバンマスをつとめる「ピンポンズ」の2003年のライブCDである。奄美レコード第一弾とうたわれている。“奄美レコードとは?島ッチュの島ッチュによる島ッチュのためのCDレコード会社”とCDの帯にある。その帯にいう
“若手ナンバー1の貴島康男と奄美の若者が作ったピンポンズ!
あっという間に人気者!これが奄美の今だ!奄美に未来だ!
泣かせます!笑わせます!躍らせます!どか〜んと聴いてちょうだい!”
発売当時どか〜んと聴きました。今回大阪より戻り聴きました。いやー貴島康男は凄い!

筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
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