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2008年07月07日

沖縄県産大学本とは?『やわらかい南の学と思想』など…


 沖縄には大学がいくつあるか。答えは、八つ。順不同にして略称的に挙げれば、琉大、沖大、沖国大、キリ学(キリ短)、名桜大、芸大、女子短、そして看護大。他に、琉大の中にある放送大学や、その昔は「ご存じ!深夜大学」というラジオ通信制?の大学もあったのだが…。※1

 で、県産本の絡みでいうと、沖国、つまり沖縄国際大学は、公開講座をまとめたシリーズの本やブックレットがある。初期の頃は、版元は、県内版元の数社に分散していたが、ここ数年は「編集工房 東洋企画」が版元となって一般書店でも発売されている。「編集工房 東洋企画」は、印刷所の出版社であり、『高等学校 琉球・沖縄史』新城俊昭著という高校の副読本でありながら、一般書としてベストセラーとなった本を出している。

 しかし全体的にみれば、各大学が積極的に自分たちの本を出版するというイメージはあまりなかったのだが、今年は、沖縄大学が創立五十周年ということで、『小さな大学の大きな挑戦 沖縄大学50年の軌跡』沖縄大学五〇年史編集員会編著(高文研)※2が出たり、さらに琉球大学も『やわらかい南の学と思想 琉球大学の知への誘い』琉球大学編(沖縄タイムス社)が出たりと、ここにきて、各大学が独自の企画出版に乗り出してきたように見える。各大学とも学生の獲得競争が激しくなる中、国立大学である琉大も、のほほんとできなくなったのかもしれない。

 『やわらかい南の学と思想』は、これから琉球大学で学ぼうとする若者たちに、琉球大学の先生たちが、それぞれの専門分野の話を、興味を持ってもらえるような切り口で論じられている。「県内唯一の総合大学」故に、分野が多岐に渡っており、執筆する先生方も多くてA5判で400頁を超えて、なかなか分厚い。本を読まないとここ三十年ぐらい非難されている若者たちへの挑戦か!? できるだけ分かりやすく、やさしく書こうとしているみたいだが、そんなの関係ねー(古くてすいません)と、なかにはまったく研究論文スタイルで書かれている先生もいる。

 要するに大学紹介の本なのだか、これがなかなか僕にとっても面白そうなタイトルが並んでいる。例えば「㈵ 沖縄の歴史を学ぶ」の中の、高良倉吉「レキオ(琉球)人の時代」と豊見山和行「近世琉球史像の見直し −紛争・商売・盗難」、そこに我部政昭「なぜアメリカは沖縄統治を行ったのか」が並ぶと、これは古琉球から近世琉球、さらに現代沖縄にまで及ぶ幅広い範囲を考察する内容になる。それぞれ多くの単著がある先生たちの、現在の研究の視点が確認できる。「㈼ 変容する沖縄の社会と民俗」では、赤嶺政信「キジムナーの民俗学」がおもしろい。沖縄でもっともポピュラーな存在であるマジムン(妖怪?)キジムナーと沖縄の人々との関わり、つまり「あくまでもそれを信じ「想像」した人間についての研究」のエッセンスが、分かりやすく、また研究論文としてのおもしろさも味わえる。

〈キジムナーのマスコット化という今日的現象は、我々の社会が長い歴史を通じて維持してきた人間と自然との緊張関係が失われてしまったこと、あるいは失いつつあることと相関の関係にあると考えていいだろう〉(「キジムナーの民俗学」終わりに より )

 他にも、言語、文学、観光、自然、災害と建築、医と健康など、総合大学らしい内容が並んでいる。昔はね、沖縄の大学は地域のその研究の成果を還元していない、という声もあったが、現在は、逆に、地域に「知的」にも開かれた場でなければ、生き残れない時代になったようで、これからさらにたくさんの「沖縄県産大学本」が生まれてくるだろう。

 あっ、書き忘れた。もうひとつ、琉大から出た書籍がある。そしてこれは非売品である…  
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2008年06月02日

むぎ社 その不思議な世界『オバァが拝む 火の神と屋敷の御願』


 ここ数年、沖縄県産本業界で確立したジャンルがある。本屋の郷土本コーナーでも目立つところに位置するようになった「御願本コーナー」である。沖縄県以外の本屋さんでは絶対ないジャンルだろう。「うがん」「うぐゎん」と読むのは沖縄人の常識だが、我がボーダーインク刊行の『沖縄の御願ことば事典』(1998年 高橋恵子著)なども、県外からの問い合わせだと「おねがいことば事典」と注文がくる場合がごくたまにあったりする。「御願」とは何かと説明すると話はとても長くなるのであるが、要するに、沖縄の人々がいろんな沖縄の神様に様々な祈りを捧げること、としておこう。このジャンルをここ数年脇目もふらず追求し、独自のスタイルを作り上げた沖縄県産本の出版社が「むぎ社」である。

 1986年に、沖縄の地元出版社で編集をしていた座間味栄議氏が立ち上げたむぎ社は、沖縄の歴史、グスク、沖縄で見られる星座、沖縄の川の本など、沖縄の文化と自然をそれぞれの研究者や専門家が、一般向けに、印象としては学校の教材・副読本として使えそうな内容としてまとめた本を、コツコツと出していたオーソドックスな県産本の出版社だった。

 変化のきっかけになっただろうと思うのが、2005年に出た『琉球の死後の世界 −沖縄その不思議な世界』である。郷土の民俗研究家である崎原恒新氏が文献資料調査と独自の聞き取り調査によってまとめた本だが、専門的な研究書といった案配ではない。沖縄の民間に伝わってきた「死」「あの世(グソー)」「幽霊」「まじむん(妖怪)」の事例をざっくりと集めて紹介している。実は当時僕も沖縄の呪い(まじない)とか魔よけに関する本を企画していたので、この少々怪しげなタイトルのこの本は、とても面白く読んだ。「多様な個性を持つ幽霊 / 墓と墓地の幽霊 / 村の内外に出没する幽霊 / 幽霊屋敷 / 歌をうたう骸骨・幽霊 / 骸骨編 / 歌う幽霊編 」など、そそる項目が並んでいる。「研究書」でも「トンデモ本」でもない、そのギリギリのニュアンスが県産本の味わいと言っておこう。(ちなみに僕の企画は頓挫した)


 そしてその翌年にいよいよ登場したのが、『オバァが拝む 火の神と屋敷の御願(ひぬかんとやしちぬうがん)』である。この本でいよいむぎ社代表の座間味氏自らが著者となり、沖縄のオバァたちが拝む「火の神」とはどのような神様なのか、懇切丁寧に説き、「ウグクトゥバ」や「屋敷の御願」について、沖縄の各地の事例を細かく説明している。いつのまにか座間味氏は、「御願」を独自に研究し専門家となっていたのである。その内容はというと、枕なしにいきなり本題の話にはいる名人落語家のように、木訥としているがスッと内容が入ってくる。御願の副読本とでもいえようか。この本は県内書店での売上げもよくすぐに増刷をしている。県産本ベストセラーである。

 実は当時、我がボーダーインクでも、都市化した沖縄の生活なかで、だからこそ必要とされている普通の沖縄の家庭における「御願」の仕方についてのハンドブックを編集していたので、この本が出た時はびっくりしたが、路線やターゲットとしている読者イメージが違っていた(ので、頓挫しなかった)。そして『オバァが拝む……』の数ヶ月後に出たのが、ボーダーインクの『よくわかる御願ハンドブック』である。この二冊のヒット本により、沖縄県内の書店では関連本を充実させ次々と「御願本コーナー」が作られることになる。

 さらにむぎ社は、同じ年に『沖縄の魔よけとまじない  家と家族を守るムンヌキムン』(座間味栄議著)、翌年07年には、『ひと目でわかる! スーコーとトートーメー  沖縄の葬式と法事と位牌』(むぎ社編)、さらに今年08年は『まるごとわかる!ユタ 霊能者か!エセ占い師か!』(座間味栄議著)と、もう迷うことなくこの路線に特化した出版活動を展開している。  
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2008年05月05日

『ハブヒル ストーリー』のヒストリー(久米島)


『ハブヒル ストーリー』のヒストリー
 古き良き隣人たち?が見た久米島


 先日、ボーダーインクの同僚が久米島出張から戻って、「おもしろい写真集があったよ」と一冊の本をお土産に買ってきた。それは久米島自然文化センターが発行している『ハブヒル ストーリー』という写真集。〈ハブヒル〉という地名が久米島にあるのかと思ったら、それは「ハブの丘」という意味なのである。サブタイトルに「駐留米軍人が見た久米島」とある。なんだなんだと頁をめくってみるとそこには古き良き島の風景が詰まっていた……。

 実は、復帰前まで久米島の小高い丘に米軍のレーダー基地があった。そこに配属された米軍人たちは、勤務の傍ら、久米島の風景や集落の様子、そしてそこに生きる島人たちの姿を写真撮影していた。1950年代から70年代のことだ。彼らはその丘の事を、「バブがたくさんいる丘」ということで、〈ハブヒル〉と呼んでいた。沖縄が日本に復帰すると、その丘は今度は自衛隊のレーダー基地となった。それから数十年の時がたち、久米島に駐屯していた元米軍人のひとりジョン・ロンドン氏が、そのころの久米島の思い出の写真を公開するウェブ・サイトを開設する。そこには久米島に配備されていた多くの元米軍人たちから寄せられた写真がたくさんあった。彼らは久米島で過ごした日々をノスタルジックな記憶として大事にしていたのだ。

 そのハブヒルのすぐそばには、宇江城というグスクがあり、久米島町の教育委員会では数年に渡りそのグスクの修復活動をして、またグスクに関する資料の収集に努めていた。その活動の中で、ジョン・ロンドン氏のサイトの存在を知ることになる。グスクに関する情報は得られなかったが、そこで公開されていた写真は資料としても価値が高く、なによりもその風景は久米島の人たちにとっても懐かしいものであった。そこで久米島自然文化センターが主催で、その写真をもとにした写真展を久米島町制一周年記念として開催することになった。その際作られた図録が、この『ハブヒル ストーリー』なのである。

 僕としても初めてみる写真ばっかりなのであるが、なんとも懐かしく感じる。アメリカ世時代の、どこかしらのんびりとした農村風景と、まるで映画のセットのような街角の風景。写真につけられた英語と日本語のキャプションもなかなか味がある。
翻訳を担当したのは、久米島高校の先生と英字新聞部の生徒達だ。例えばこんな感じ…  
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2008年04月07日

ryuQ100冊4月号/ある意味「ミスター・沖縄県産本」


 気が付けば、風がやふぁやふぁとしてきた。四月である。季節はといえば、うりずん。いろいろな社会的な節目にこの季節が選ばれたのはよく分かる気がする。降雨が地に染みわたり、大地は潤い、新たな生命が芽吹き始める。何かが始まるにふさわしい気が満ちているのだ。この「ryuQ」も、一年前にスタートした。「四月三日なんです」と、沖縄ウェブ界のキジムナーことスタッフのKUWAさんが教えてくれた。満一歳を迎えた訳ですね。なにかカリーをつけないといけないですな。

 ryuQぬブログや ばが島ぬ恵み うりずんぬぐとぅ 染みて咲ちゅさ

 なんちゃって琉歌、なので意味は不明であるが、とにかくおめでとうございます。今後とも末永いお付き合いのほどを読者ともどもよろしくお願いします。

 今回紹介する本は、うりずんとも一周年ともまったく関係ないので恐縮だが、しかたない。去年の年末に出版されて、さっそく紹介しようとしたら、本がどこぞに紛れ込んでしまい、冬の間中、ずっと探していたのだ。春になり、本棚からひょっこり顔を出していたのをようやく見つけ出した。ゆい出版が実に久々に出した『カンタン家庭で作れる薬膳みそ』(知念美智子著)である。

 食育研究家の著者が、長年の研究・実践の中から作り出した手作り味噌「沖縄薬膳みそ」のすべてを伝授する内容で、〈本書が、食育について考え、健康の基本である「食べる」、それも「何を」「どのように」「誰と」食べるかを考えるきっかけになれば〉ということだそうだ。「沖縄薬膳みそ」の作り方がとにかく懇切丁寧に説明されている。しかし全体的に実にざっくりとした、沖縄県産本らしい実用書である。しかし僕が紹介したいのは、実はその味噌ではなくて、この本の版元「ゆい出版」である。  
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2008年03月03日

地元新聞連載に注目『挑まれる沖縄戦』『がじゅまるファミリー』

地元新聞連載に注目!『挑まれる沖縄戦』『がじゅまるファミリー』
 春先になると、出版社には原稿や企画の持ち込みが多くなる。自費出版の相談とか。春は地中に蠢いている虫たちも地上に出てくる、なんていうから、人の思考・行動にもなんらかの影響があるかもしれない。
 一転して実際の県産本の新刊となると、実は例年だとこの時期、比較的おとなしく刊行点数も少ないのだが、今年はかなり賑やかそうです。特に、新聞社系の出版物! ということで、今回は、永遠のライバル、沖縄タイムス社と琉球新報社のそれぞれの春のイチオシ本をとりあげてみませう。

 沖縄タイムス社が満を持して刊行したのが、『挑まれる沖縄戦「集団自決」・教科書検定問題報道特総集』(沖縄タイムス社編)。去年沖縄県全体で盛り上がった「教科書検定問題」は、地元の新聞社が行った報道キャンペーンが牽引していった部分がかなりある。そしてその問題の根は深く、去年突然起こったことではない。この本は、二〇〇五年から沖縄タイムス紙上で始まったキャンペーン報道のドキュメントを再編成し論点をまとめたものだ。まずその総量に驚く。その多くは僕も新聞で読んだはすだが、こうして一冊にまとめられることにより、改めてこの問題が今の沖縄県民にとってより重要なことであることを実感させられる。

 内容では個人的に「ll ルポ・証言」に目がいった。これは岩波・大江裁判・「集団自決」問題でクローズアップされた、慶良間諸島の「集団自決」について、当事者である住民の証言をまとめたものだ。僕の両親もこの島々で「集団自決」の当事者であることもあって、連載中も欠かさず読んでいた。

 この住民の証言をまとめる、ということで想起されるのは、五七年前、沖縄タイムス社が出した『鉄の暴風』である。戦後、沖縄でまとめられた最初の本である。まだ沖縄戦の記憶も生々しい頃、沖縄タイムスの記者が住民達の声を取材しまとめたものだ。「集団自決」という言葉もこの本から生まれた。今まで続く沖縄戦のイメージの源流となる本だ。そして今でも本屋に並んでいるロング・ベスト・セラー。今回の『挑まれる沖縄戦』は、その続編と考えてもいいかもしれない。同じタイミングで岩波新書から、沖縄タイムスの謝花直美記者による『証言 沖縄「集団自決」 慶良間諸島で何が起きたか』も刊行されているので、合わせて読んでおきたいところだ。

 一方、琉球新報社からは、朝刊で二〇〇四年から好評連載されている四コマ漫画「がじゅまるファミリー」の第一巻が刊行された。作者のももココロさんは、普通の沖縄県民だったのが、突然一念発起「地元新聞の四コマ漫画家になる」と宣言して、一年間作品を描きためて琉球新報社に送ったところ、採用となり連載が決まった、という、  
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2008年02月04日

「沖縄県産本ニュース NOW&THEN」

ryuQ100冊2月号「沖縄県産本ニュース NOW&THEN」
 先日、「輝け! 2007年沖縄県産本大賞」の選定が行われた。沖縄県の出版に関する賞としては、沖縄タイムス社が主催する「沖縄タイムス出版文化賞」が県内に広く知られているのだが、こちらは、その存在を知るものは、あまりいない……だろうなぁ。
 実は「沖縄県産本大賞」とは、県内の出版社が数多く参加する「沖縄県産本ネットワーク」の事務局を中心とする編集者数名が、年の初めに突発的に集まり、前年に出版された「県産本」の中から数点選び出し、この本はとっても上等だった、よく出来ている、おもしろかったと、かってに一方的にいろんな賞をあげるというもので、権威的なものは一切はないが、まぁ面白いじゃないの、というものだ。県産本編集者が、自分たちの県産本を褒めるという、いわゆる「どぅーふみー」な企画である。
 なぜこれがよく知られていないかというと、発表される場が『沖縄県産本ニュース』という、これまた知る人ぞ知るフリーペーパーだからだ。ネットワーク会員の出版社が出した新刊紹介を主な内容としていて、一応隔月刊だ。編集者や関係者による寄稿エッセイや、その時の沖縄出版界の話題に関するコラムや版元探訪などの企画物が載ることもある。そしてもちろんフリーペーパーには欠かせない! 四コマ漫画も付いている。創刊は1994年で、2008年1月に56号が出たばかりだ。これまで、ほぼ621点の本を紹介している。登場した版元は、たぶん48社。「県産本」を世間にアピールすべく、県内外の書店や関係各位に配っているのだが、皆さんは目にしたことがあるだろうか。県内のだいたいの書店には店頭に置いてもらっているはずなのだが。見つけたら人見知りせず、遠慮せず、もらってください。

 しかし「沖縄県産本ニュース」も、もう14年目になるのだなぁ。ふとバックナンバーを読み返してみた。
 記念すべき第1号には、なんとあの中江裕司監督がエッセイを書いている。しかも編集者として。そうなのだ、実は中江さんは、かつてあの伝説の沖縄ローカルの月刊漫画雑誌『コミックおきなわ』の編集長だったのだ。
 その頃は、パナリ本舗という自分たちの会社で『GARVE』という雑誌を出していた。今、桜坂劇場などに関わるプロデューサー・Nさんが編集長だった。当時、国際通りにフェスティバル・ビルというのがあって(現OPAビル)、そこで映画を上映したり、ライブをしたり、著名人のトーク・ショーなどができるスペースがあって、パナリ本舗はその運営にも関わっていたはず。たしかその一環に発行されていたのが、『GARVE』だった。誌名の由来は、ガープ川である。あの頃、国際通りの「沖縄ジァンジァン」が閉まり、「リウボウ・ホール」では、ウルトラマンの父・金城哲夫展が開かれていたなぁ。『GARVE』はそうした沖縄サブカルチャーのディープな部分にこだわった特集を組んでいた、かなりかなり褒めていえば、『Switch』のような雑誌だった。何号まで出していたかなぁ……。なるほど、考えてみると、今ある桜坂劇場というのは、その時やろうとしていたことを展開しているのだなぁ。
 最初に紹介されている県産本は、『アロハ 沖縄人PW』渡久山朝章著、ひるぎ社の本である。「おきなわ文庫」シリーズでよく知られ沖縄出版界に名を刻んだひるぎ社も、今はない。しかし「おきなわ文庫」の幾つかは、今も那覇空港の売店に並んでいる。

 我がボーダーインクはというと、シマーコラムマガジン『Wander 14 ふぁむれーうたぬぐとぅく号』が紹介されている。「沖縄雑誌名鑑ふくぁんじぇんぶぁん(不完全版)」が特集だった。当時たくさんあった沖縄関係の雑誌を例によってなんでもかんでもコラムで紹介していた。『Wander』は、2005年、38号を持って終刊した……。

 さすがに14年前のことを振り返ると、こうなってしまうのだなぁ。これまでの歩みをざっと振り返ろうとしたが、どうやら無理があるようだ。またいずれの機会にちゃんと整理してみよう。
 みなさんも、書店などで「沖縄県産本ニュース」を見かけたら、ぜひ手にして持ち帰ってください。14年後には、とってもいい資料になっていることでしょう。(文・新城和博)

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http://ryuq100.ti-da.net/c73391.html

プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
ボーダーインクHP:http://www.borderink.com/
  

2008年01月07日

年の初めの沖縄文化とは

年の初めの沖縄文化とは
 もういくつ寝なくても、正月だ。
 トゥシヌユールー(年の夜・大晦日)と一日しか違わないのに、空気が新しくなるような感覚は、いつの世になろうとも、そんなに変わらないものかもしれない。不思議だな。新暦から旧暦に移行して百年以上たった日本の、それでも旧暦の感覚が日常でもある沖縄でも、元旦は元旦らしい。2008年、まず最初の正月である。みなさま、あけまして、おめでとうございます。今年もまた沖縄県産本を作りつつ、紹介していきますので、お付き合いのほど、よろしくお願いします。

 しかし話は2007年の年末に戻る。あるラジオ番組で、沖縄県産本の新刊を紹介しないといけなくなった。ワタクシが勤めているボーダーインクは残念ながらここ数ヶ月新刊がない。さてどうしたものかと書店の沖縄・郷土本のコーナーを見渡してみれば……ちょこんと小さなかわいい本の一群が目に付いた。B6判の、ページ数でいうと100頁前後の、リトル・ブック・シリーズ。あわただしい年末にほっとひといきつけそうな雰囲気。それが、沖縄文化社の本である。

 創立が1985年、というから、そろそろ四半世紀に近づく、県内版元では中堅どころの出版社で、「沖縄の歴史や文化を紹介した初心者向けの図書を刊行しています」と、自社のサイトで自己紹介しているように、郷土の文化を学ぶ子どもたちが手に取りやすいような、見た目も内容もやさしい仕上げとなっているのが、沖縄文化社の本の特徴。沖縄ブームやら沖縄移住やら、沖縄出版界に吹く風に巻き込まれることなく、やふぁやふぁと地域に根ざした内容の本を刊行し続けている。(ちなみにこの1980年代は、他にも「ニライ社」や「沖縄出版」など出版社が相次いで創立していて、沖縄県産本の内容が、政治・戦争・歴史・自然といったところから、生活文化へと広がりを見せ始めた頃である)。
 シリーズ名はないが、『沖縄昔ばなしの世界』(石川きよこ著)が1991年初版刊行で、今も版を重ねているのをはじめとして、『沖縄のわらべうた』『沖縄の祭りと行事』「やさしくまとめた沖縄の歴史』『ふるさと沖縄の民具』『やさしくまとめた沖縄の古典』『沖縄歴史人名辞典』などなど、書名を並べるとわかる、これぞ郷土の出版社というラインアップ。「初心者向け」ということで、子ども向けかと思いきや、実は大人が手にとってこそ、ほぉと頷く内容の作りになっている。奇をてらわず、正攻法でまとめられた沖縄文化の基礎教養講座のテキストとして最適にちがいない。子どものために買う振りをして、こそっと全部読んでしまいたい。

 最新作は『沖縄学習まんが 組踊がわかる本II』(監修/大城立裕 漫画/漢那留美子)。2005年に刊行した組踊の祖・玉城朝薫の五番をまんがでダイジェストして紹介しているのに続く組踊もの第2弾だ。組踊という取っつきにくい沖縄の古典文化を、これまたやさしく紹介している。
 そう「やさしく」というのが、キーワードなのだな。とにかく編集している沖縄文化社社長・徳元さんが、見るからにやさしげなほんわかした風貌なのである。会って話しをすると、なんというか、確実に和む。僕はラジオで紹介する時に思わず「沖縄県産本界の癒し系」と名付けてしまいました。ここ数年は「年に一冊」という刊行ペースも、この世知がない沖縄にあって、穏やかものではないか。我が身を反省するばかりである。

 『組踊がわかる本㈼』を紹介するに当たり、手に取って、いろいろ眺めていたら、ふと気が付いたことがある。その小さな本の、小さな背表紙の下に、ちょこんと「P」とアルファベットが付いているのだ。P? 何の略だろうか……。はっと思いついて、シリーズ一番最初の『沖縄昔ばなしの世界』の背表紙を見るとあった。「A」。ははーん。本の後ろの頁にあるこれまでの刊行リストを数えると、B6判の本の数とアルファベットの順序は全部一致した。順番に背番号ならぬアルファベットで並べているんだ! ということは、今後、X,Y,Zに至るまで続いていくに違いない。全26巻で第一期完結するという、実は壮大な計画に基づいたリトル・ブック・シリーズだったんだ。
 癒し系編集長に直接聞けば実のところがわかるだろうが、敢えて聞かないでいて、新年早々、妄想にふけるのであった。

「明日の沖縄を拓くための第一歩は、
 自らの生まれ育った地域を正しく知ることであり、
 このことが世界の国々を理解するうえでも不可欠となってきます。
 これからも“ふるさと沖縄に学ぶ”という姿勢を忘れず、
 地域に根ざした出版活動をめざします。」
(沖縄文化社のサイトより)

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プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
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2007年12月03日

ryuQ100冊・12月号「沖縄のうねりの中で」

ryuQ100冊・12月号「沖縄のうねりの中で」
 気が付けば、今年ももう今月でおしまいだ。過ぎてしまえば早かったと思うのは毎年のことではあるが、振り返ってみて、沖縄で今年一番の話題といえば、「教科書検定問題」だろう。
 高校の教科書で沖縄戦に関する記述に検定意見が付いて、「沖縄戦で起こった沖縄県民の集団自決に日本軍が関与していた」という記述を削除・修正を、文部科学省が各教科書出版社に求めたのが三月のこと。その後、県内の各平和運動団体や女性団体などが中心なり、検定意見撤回を求める動きが起こり、六月には沖縄県議会が全会一致で、二度にわたる検定意見撤回決議を文科省に提出するという事態となった。県下ほとんどの市町村議会も同様の決議を行った。しかし文科省や政府は、沖縄のこうした動きに誠意のある対応を見せなかった。沖縄のマスコミは各社この問題を大きく扱い、また「沖縄戦・集団自決」とは何か、もう一度深く掘り下げる報道、キャンペーンが展開された。
 こうした流れの中、九月二十九日に行われたのが「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、会場となった宜野湾コンベンションセンターの広場には、あの1995年の米軍人による少女暴行事件を端に発した、「10.21」の県民抗議集会を上回る人数が集まった。戦後最大規模の県民運動といえるだろう。
 その九月二十九日は、偶然にも「第九回沖縄県産本フェア」の初日でもあった。僕は、午前中は〈いち県産本編集者〉として、会場のリウボウブックセンター・リブロに顔を出し、午後からは〈いち県民〉として、家族三人で県民大会に参加した。

 それから十日後、県産本フェアのイベントである「県内アナウンサーによる県産本朗読会」が、リウボウ・ホールで行われた。僕はスタッフとして朝から会場でパタパタしていたのだが、ふと見ると、フェア会場の棚には新しい本がどさっと置かれていた。ちらっと見ると、「県民集会」とかたくさん集まっている人々の航空写真が表紙を飾っている。この時期だから、1995年の県民集会の本を持って来たのかなと思ったら、いやいや今回の教科書検定問題の県民集会の写真集ではないか! その本の名は、写真集『沖縄のうねり 集団自決「軍命」削除の教科書検定抗議』、琉球新報社の発行だった。
 まだ十日しかたってないのに、もう本が出来ているというのに、まずびっくりした。新聞社とはいえ、これぞまさしく緊急出版である。のんびり出版がほとんどの沖縄県産本版元とは思えない。こんなに素早く出たのは記録じゃないかな。

 県民大会の写真をメインにしつつ、これまで紙面で展開してきた「教科書検定問題」や「沖縄戦・集団自決」に関する記事、資料も揃えて、それなりの作りになっている。何より臨場感がある。集会に参加した僕もとりあえず自分たち家族が写っているかしらと探したりして……11万人ほどの御万人(うまんちゅ)の中で、シュプレヒコールした僕の腕だけ写っていた。

 この『沖縄のうねり』はその後面白い展開を見せた。沖縄県内では、予想通りそこそこ売れていったのだが、それ以上に県外の読者から反応が大きかったのだ。琉球新報社には、県外からの問い合わせが殺到して、本の発送作業がパニックになったとか。また大会後の国会で、ある議員が『沖縄のうねり』を片手に政府に質問をしたところが、テレビ中継で全国に流されて、さっそく「今、テレビに出ていたあの本を送ってくれ」と、またまた反響があったそうだ。まとめて何冊も買う読者が多いのも特徴らしい。戦後六十年の時に『沖縄戦新聞』という、これもまた沖縄戦に関する長期連載企画を出版して大ヒットした琉球新報社らしい一冊といえようか。

 ここからは個人的な話。
 もう一方の新聞社の友達で、これまた沖縄戦の取材をしている記者の方から、メールをもらった。今、僕の父親の島の取材をしているけれど、その話の中で僕の父親の話がよく出てきたと。
 僕の父はもう二十年以上も前に亡くなっているのだが、沖縄戦における集団自決が最初に起こった島の出身で、当時中学生だった父は、まさに当事者、生き残った者だった。その頃の話は生前、父からはほとんど聞かなかった。ここ数年、妙にそのことが気になっていた。当時中学生だった父は、どういう思いを秘めていたのだろうかと。もう亡くなっているので、想像するしかない。
 その記者の方のメールには「お父さんの写真が、沖縄戦の写真集に載っているらしいよ」とあった。それは知らなかった。なんでも本に掲載されていたのは、米軍が当時撮った膨大な量の沖縄戦に関する写真のひとつで、キャプションが違う島の名前で付けられていたのだ。なるほど、知らないはすだ。
 その写真集は『写真記録 これが沖縄戦だ』(大田昌秀編著、琉球新報社)。初版が1977年で、沖縄戦に関する写真集が初めて発売されたということもあり、発売と同時に大反響を呼び、以来増刷・改訂を重ねて、累計20万部を越える大ベストセラーとなっている。
 その中の一枚、捕虜になるために山から投降する島のお年寄りたちを支えている、当時中学生だった父親の姿が、そこにあった。ああ、なんとなく面影があるような……。その写真を眺めて、またいろいろ想像してみる。集団自決を目の当たりにした少年の心情を……。

 実は、この写真、偶然にも『沖縄のうねり』の中にも、大きく掲載されていたのである。これまた違う人に指摘されて、びっくりした。
 沖縄戦に関するジャンルは、沖縄県産本の大きな特徴で、写真集は県内外で読まれている。その膨大な写真の中の一枚に、僕の父親がいる。こんな風に、沖縄戦の記憶はいろんな流れを経て、個人の心の中に溜まり、そして世代を超えて流れていくのだろう……な。(文・新城和博)

●新城和博の『ryuQ100冊』バックナンバー:
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プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
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2007年11月05日

「飛び出る沖縄県産本」

飛び出る沖縄県産本
 そういえば、今更だが、ワタクシ「沖縄県産本」とはそもそも一体なんぞや、ということを話していましたでしょうか。どれどれと、この連載の最初の方から見てみましょう(今年の4月から始まっているのだ)……説明してないですね。これ、大切なことなんです。

 そもそもこの「沖縄県産本」という言葉は、我々が提唱した造語だ。我々とは「沖縄県産本ネットワーク」である。県内の版元が集まった任意の団体だ。

 沖縄に関する本はたくさん出ているが、地元の出版社の本をアピールするために、敢えて「メイド・イン・ウチナー」にこだわったのが「沖縄県産本」というネーミング。

 定義は簡単で「沖縄県内にある出版社が出版した本」。内容も著者も沖縄でも、出版社が県外だったら「県産本」ではないというわけ。どう、ココロ狭い感じですね。

 でもこんなにたくさんの沖縄に関する本が出ていて、もう10年以上も職業的危機感を覚えている我々としては、生き残りをかけて必死にアピールしているのである。これはほんとである。「いつまでもあると思うな県産本」(かつてボツになったキャッチフレーズだ)。

 その「沖縄県産本」が年に一度大集合するのが、毎年「リウボウブックセンター リブロ」で9月末から10月中旬にかけて行われる「沖縄県産本フェア」(主催が県産本ネットワーク)である。第9回目の今年は初日が、例の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」と重なったりして、いろいろ大変だったのだが、まぁ何とか無事に終わった。

 各出版社の、だいたい今書店に並んでいる既刊本、新刊はもちろんのこと、日頃は書店に売られてないものまで、ずらっと揃えているので、毎年この期間を楽しみにしている読者の方もいる。ただで配っている出品目録を見れば、今現在の県産本のあり方も分かる。

 そして楽しみにしているのは読者だけではなくて、実は僕たちもそうなのだ。この時とばかりに、他から出している県産本をまとめて買うのである。古書店の中には「仕入れ」しているところまである。掘り出し物はいつもあるのだ。

 今年も結構チェックして初日でたくさん買った。沖縄県地域史協議会、つまり各市町村史を作っているところの集まりが、今年はきっちり参加してくれたのだが、そもそもこうした市町村史は書店ではほとんど売られていないものばかりなので、まずはそこからいくつか選んでみた。

 その中から今回お勧めしたかったのが、沖縄県教育委員会の「沖縄県史 図説編 県土のすがた」。沖縄全土を、地理的立場から図説で解説した本なのだが、実はこれ3Dなのである。そう航空写真や地図が立体的に浮かび上がってくるのだ。専用の緑と赤のめがね(右が青、左が赤のセロファンがついた例のヤツ)が付いていて、それを装着して、アナグリフ(立体)画像を見ると、国頭が、本部半島が、南部が、宮古島が、八重山が、まぁとにかく周辺離島もふくめて、ページをめくればどんどん飛び出てくるのだ。地形、地質、土壌、水脈などのわかりやすく解説があるので、まさに手に取れるようなリアルな感じで島の地形が迫ってくる。空から見た珊瑚や海底の3Dもある。

 最初「3Dねぇ。子どもだましか」と思っていたが、いやー全然リアルに飛び出てくるので、面白くなってしまった。また現在の姿だけではなく、六十年前の今は亡き沖縄の姿を撮った航空写真(米軍撮影。攻撃用に沖縄のほぼ全域の極めて精密な航空写真を撮っているのだ)と今の姿を待対比する立体画像もあったりする。

 「辺土岳の塔カルスト」「古宇利島の石灰岩段丘」「山里の円錐カルスト」「伊是名島のチャート円錐丘」「伊良部島の海崖」「石垣島平久保崎の円柱丘」「与那国島ティンダバナ」「北大東島の幕」「硫黄鳥島」など、ちらっと取り急ぎ目次から拾っただけでも、地形マニアならピンとくるでしょう。

 いやそういう知識がなくても、文字通り沖縄が飛び出てくるのを見るだけで、楽しめる一冊だ。勉強にもなる。見過ぎると目がチカチカしてくるが。

 県が作っただけあってたっぷりと予算も人員も手間暇もかかっていそうなこの本もまた、日頃は沖縄県公文書館に行かないと手に入らない本なのである。もっと県民の目に触れて欲しいものだ。

 これなんか沖縄県が作っているから、まさに「沖縄県産本」なんだろうな。(文・新城和博)

●新城和博の『ryuQ100冊』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73391.html

プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
ボーダーインクHP:http://www.borderink.com/
  

2007年10月01日

棚からひと掴み・宮古編


 好きなラジオ番組に山下達郎の番組がある。「日曜日の午後、いかがお過ごしでしょうか。山下達郎の……」という例のFM放送だ。マニアックな選曲ときめ細かい蘊蓄とどことなく落語口調のしゃべりをまったりとドライブしながら聴いている人は多いだろう。その中で時々やるのが、「棚からひと掴み」という特集だ。山下達郎個人の膨大な趣味のレコード・CDコレクションから、ランダムに「ひと掴み」取り出して曲を掛けていく、というやつ。適当にひと掴みしても一般的にはあまり知られてないが、おもしろい曲はたくさんあるよ、というコレクションへの自信もあるはすだが、本人が楽しそうに曲紹介するのは、うらやましい限りだ。
 で、今回は、ワタクシも、我がボーダーインクの事務所の本棚の、沖縄関係資料の棚から県産本をひと掴みして、山下達郎の気持ちになって紹介してみようかと思いつきました。題して「棚からひと掴み 宮古本編」。どうして宮古? なんとなく、さいが。

 まず一冊目は、『ドイツ商船R.J.ロベルトソン号 宮古島漂流記』。著者はというと、当然船の船長であるドイツ人・エドゥアルド・ヘルンツハイムさん。宮古通ならピンとくるでしょうね、キーワードは表紙にも書かれてある「博愛美談」。1873年、このドイツ商船は中国からオーストラリアに向かう途中、台風に遭遇し、宮古島の上野村(現在は宮古島市だが)宮国沖で難破してしまった。たくさんの船員が亡くなり、船もリーフに座礁し航行不能となったのですが、それを助けたのが上野村宮国の村人たち。サバニを繰り出し人命救助し、その後助かった船長たちを手厚く看護し、もてなした。結局彼らは、宮古の人たちの保護の元、琉球の船をもらいうけて、中国経由で無事本国に帰ることができた。この本は、その時宮古島に一ヶ月ほど滞在した船長が宮古のことを記した日記で、ドイツで出版されたものを、上野村が独自に翻訳して出したものなのだ。人種国籍に関係なく困った人を助けるという「博愛」の精神に感銘した船長は、当時のドイツ皇帝にその博愛主義の宮古人たちのことを報告した。すると皇帝は感謝の気持ちを表すために、なんとドイツ軍艦を派遣し宮古島に「博愛記念碑」をわざわざ建立したというのは、有名な「博愛」エピソードである。あれから上野村は「博愛」をキーワードにずっと村造りを続けてきて、とうとうドイツ村まで造ったのだ。この日記は、その原点ともいえる当時の宮古の人たちの様子や島の様子が描写されていて、とってもおもしろい。当時よくヨーロッパの船が難破していたらしく、片言英語の通訳やフランス語を喋る宮古役人が出てきたり、船長たちも感嘆するような美しい集落の様子などの描写など、140年ほど前の宮古島にトリップできるのがたまらない。船を正式に譲り受けいよいよ出航するという前の日、船長たちと宮古の人々はお祝いをする。

〈船に戻ると、この船がこれで私の船となったので、黒と白と赤の旗を掲げた。また、シェリー・コーディアルの酒の箱を空け、多くの客が訪れた。夜がふけるまでタイピンサン(宮古島のこと)のダラニエ(宮古の偉い人)、ドイツのビスマルクなど、さまざまな人やもののためにSAKI〈酒〉の杯を上げた。客が帰り、トゥンツェンたち(彼らの世話をした人たち)だけが船に残ったとき、何本かのSAKIを贈り、ひとりひとりにそれぞれ生姜の壺と三タールルのナムサをあげた。彼らはそれを来年試験のために琉球に行くときまでとっておくと言っていた。
 夜遅くヌイチャンが戻ってきた。彼は返礼の贈り物として彼のパイプの束を受け取るように言ってきかなかった〉

 編集・発行は「うえのドイツ文化村管理財団 財団法人 博愛国際交流センター  上野村役場」となっており、僕はドイツ村で買った。


 棚からひと掴みの二冊目は、『おとーり 宮古の飲酒法』。宮古といえば、独特の酒の飲み方「おとーり」が有名だが(要するに宴会における永続的な宮古流廻し呑み)、まるごと一冊そのことだけが書かれているブックレットだ。これを読めば知らなくてもおとーりの全ての一部がよーく分かることになる。宮古の人にとって、おとーりは単なる酒の飲み方を表すものではないということを。「ぷからすゆうの会」というおとーりの世界を文化的、社会的、歴史的、家庭事情などなど様々な面から研究する、まことに宮古的なメンバーが企画発行している。執筆者は40名をこえる。で、とにかくおとーりの事だけを語るわけだ。
第一章「概説・おとーり」第二章「基礎・おとーり」第三章「社会の動き・おとーり」第四章「論文・おとーり」と、意外にまじめにおとーりの民俗・文化的な面から社会的な事柄までコンパクトにまとめてあり、大変勉強になるのだが、第五章「思い出・おとーり」あたりから、おごえっという感じになる。寄せられたエッセイのタイトルを見ると、「砂糖水でオトーリ」「上司の靴でオトーリ」「そば椀のオトーリで嫁をもらう」「犬に起こされる」。ねぇ、だんだんおとーりの怖さが感じられてくるでしょう。この本はおとーりをどうしたいのか。さらに読むと「カップラーメンの器に恐怖」「そば椀の純粋に恐怖」(ここでいう「純粋」とは泡盛純度100%のことである。宮古の人はそういう)「酒の飲み過ぎに恐怖」……。恐怖体験が綿々と綴られている。怖いけど、すごい。けど怖い。その後、第六章「提案・おとーり」第七章「自由意見・おとーり」と続く。基本的なスタンスとして、宮古の文化であるオトーリだがその過激な飲み方の弊害も見つめて、賛否両論ある中、真のおとーり文化を創出しようという、極めて高い志を持った本なのである。確実に言えるのは、この本を造ろうと思った面々は絶対おとーり廻しながら決めたに違いないということだ。

 さて、三冊目は……というところで、時間になってしまいました。やっぱり足りませんでしたね。準備していた『宮古スピリッツ』は、また次の棚からひと掴みの特集の時にご紹介しましょう。いずれも出版社が出した本ではなくて、宮古以外で手に入れるのは難しいですからね。では、来月もセイム・タイム、セイム・チャンネルで。お相手は新城和博でした。
(文・新城和博)

プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
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2007年09月03日

市場<マチグヮー>を巡る構想17年


『沖縄の市場〈マチグヮー〉文化誌 シシマチの技法と新商品から見る沖縄の現在』
小松かおり著(ボーダーインク刊)

 一冊の本が出来上がるまでどのくらいの日数がかかるのか。うちの会社では、四六判で200頁くらいの本だと、だいたい原稿があがってから、三ヶ月から半年くらいというのを目安にしている。ここでいう原稿とは、ほぼ完成原稿のことをさす。まぁ実際はそれぞれの本によって事情が異なるので、あくまでも目安でしかないけれど。

 しかしどのような原稿に仕上げるのか、その構想の時点から、実は本造りはスタートしているわけで、いわゆる「構想●年」というやつだ。まぁ現実は「妄想●年」の方が多いが、その妄想の中から一つでも企画が成立すれば編集者も読者も幸せである。

 というわけで今回ぜひ紹介したいのは、僕にとって「構想17年」の企画であった『沖縄の市場〈マチグヮー〉文化誌』小松かおり著、である。先月末に出来上がったばっかりの本だが、話は1990年までさかのぼる。

 当時僕は『Wander』というシマーコラム&マガジンの創刊号を準備していた。そう昔から一貫して「コラム」にはこだわりを見せていたのだが、同じくらい「インタビュー」でも、沖縄のさりげない断面を切り取りたいと思っていた。例えば「タコライスが故郷の味」という名言を残した地元女性アナウンサーのインタビューみたいな感じである(これは多分メディアでちゃんと「タコライス」について記された初めての記事だとおもうぞ)。そんな時、大学生の知り合いから、「市場の肉屋で働きながら市場のことを調べている、大学院生がいる」と聞いて、こりゃ面白そうだとさっそくインタビューしたのだ。その時出会ったのが、小松かおりさんだった。

 結局「私も肉屋のお嫁さん、欲しいなぁ」というタイトルのそのインタビューは、『Wander 創刊あがぁ号』に載った。この一言は、一日十三時間市場の中でおばちゃんたちと一緒に働いての感想である。彼女は、市場に行き、いきなり飛び込みで「働かせて下さい」と頼んんだら、店のおばちゃんはすんなり「いいよ」と受け入れてくれたのである。

 市場は自分の予想以上にすごくおもしろいと、小松さんは語っていて、僕なんかが知らない牧志公設市場の商売の技法を観察し、そして売り手のプロと買い手のプロのコミュニケーションのあり方から、沖縄の食文化の断面を切り取ろうとしていた。

「それがね、おもしろいんだけど、(店のおばぁちゃんたちは)お客さんの住所、職業、家族構成を全部インプットしている。だから、注文するでしょ。そしたら、三枚肉とか言ったら、量を指定しないんですよ。「どれくらいかねぇ」って聞くことも多いけど。聞かないで、ポンっとのっけちゃうの」(wander創刊あがぁ号 インタビューより)

 売り手と買い手の濃密な関係性を表す場としての市場がそこにはあった。売り手のプロと買い手のプロの、豚肉に対するこだわりのせめぎ合いと親和性は、聞けば聞くほど面白い内容だった。豚肉を選ぶことは沖縄の食文化の神髄だったわけだ。

 その当時、牧志公設市場と平和通り一帯は、ストリート・ジャズ・フェスティバルをやったりして、新しい話題もいろいろ話題があった。もともと僕はその近辺育ちなので、あんまり地元の若い者に注目されていない市場の魅力を再発見するという視点で、市場の本を作れないかなぁと考えていたが、なかなかうまく構想が立てられなかった。だから、小松さんのインタビューをまとめながら、こういう本だったらいいよなぁと……と思っていたかどうか。今となって分からないが、実はずっと気になっていたインタビューだったのだ。

 その後彼女は市場をネタに修士論文を仕上げ、人類学者として、アフリカやバナナなど、フィールドを世界に広げる研究者となった。今は静岡大学で准教授として教鞭をとっている。そして2000年になり、久しぶりに牧志公設市場に訪れて、市場の変化に驚いたのである。

「コマの配置も売っている人もほとんど変わらないのに、商品と買い手はずいぶん変わっていたからである。目立つ位置に置かれている商品は、以前は売り場の隅にひっそりと置かれていたか、もしくはもともと存在しなかった商品である。市場を歩いている客も、以前は地元客が多かったが、圧倒的に県外からの観光客とおぼしき人が多い」(『沖縄の市場〈マチグヮー〉文化誌』「第一牧志公設市場の不思議」より)

 ふたたび本格的に市場についてのフィールド・ワークを始めることになった小松さんは、その頃また僕とも連絡を取るようになった。小松さんは、今回の研究のねらい目についていろいろ話てくれた。市場の変化について、アグーや海ぶどう、島バナナなどの市場で特徴的な沖縄の商品の流通と背後にある物語、そしてそれを通して見えてくる沖縄イメージについて、その切り口は、その後も市場の本を作れずにいた僕にとっても魅力的だった。その直後の「ちゅらさん」ブーム、「9.11」の観光的影響などもあって、市場の変化は続き、関係ないのかあるのか、『wander』は十五年目にして、終刊となった。その間、結局、市場特集はしなかった。

 2000年から始まった調査は断続的に2005年ころまで続き、いくつかの論文がまとめられた。そして1990年からこれまでの、小松さんが書いた市場に関する論文をベースにしつつ、沖縄県産本の一般的な読者(研究者各位から三枚肉を選ぶお客、そして市場を観光地として思えなくなった層まで)にもわかりやすく展開する構成を、僕は小松さんに提案し、単行本としての原稿の整理、書き下ろし、さらなる調査が始まった。

 こうして1990年、2000〜05年、そして07年の今年と、断続的に続いたフィールドワークの成果がよくやく一冊の本としてまとまったのである。

 僕としては、あの17年前にやったインタビューのノリを再現するような気持ちで編集作業を行った。そして小松さんと相談して決めた帯の文句はこれである。

「市場へ行こう」

 そう、結局はそこから、始まったのである。

プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
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2007年08月06日

幻の名作『レッド・ペチコート』とは/他、大城立裕著作本2冊


幻の名作『レッド・ペチコート』とは
    『縁の風景』『沖縄演劇の魅力』大城立裕著


 最近、沖縄タイムス社から出た大城立裕さんの『縁の風景』という一冊が気になっていた。これは大城さんがタイムス夕刊紙上で、'06年から'07年にかけて連載していたコラムに書き下ろしを加えてまとめたもの。連載していた時からちょくちょく読んで楽しんでいたコラムだ。立裕版「ちょっといい話」というか、御年八十を越えた著者の豊富な体験をもとにした、「小味な面白い話」(あとがき)を100編収録している。話題もウチナーグチ・ジョークや軽い下ネタから作家らしい沖縄文化論まで、登場人物も数十年も前に一度出逢ったきりの人から、旧知の沖縄の文人や(本コーナーで同じみの嘉手川学さんのスー、いやお父さんも登場している)有名作家まで、とにかく豊富である。沖縄の代表的な作家としての立場上か、重く堅いことしか書かないと思われている節のあった著者の、意外な側面と捉えられるかもしれない。僕はぱらりとページをめくり、ひとつの項目に手が止まった。「レッド・ペチコート」。このタイトルは以前目にしたことがあった。

 実は僕は告白すると、大城立裕さんの長編小説をほとんど読んだことがない(ひぇー、こんなこと書いていいのか)。しかし好きな本はあります。みなさんにもお勧めしたいそれは、『沖縄演劇の魅力』(沖縄タイムス 1990)である。
 「タイムス選書II」の1として出た当時、えらい感心して読んだのだが、「演劇論でつづる沖縄戦後史」といった案配の、著者の演劇に関する文章をざっくりと集めまとめたものだ。
 沖縄は戦後すぐ捕虜収容所生活の中から沖縄芝居が復興したというエピソードが有名だが、大城さんは、1947年の沖縄民政府主催の懸賞付き脚本募集に『明雲』という作品で二等をとっている(その時は「一等なし」だが、これは主催者側が実は賞金の予算がなかったというオチがある)。戦争が終わって2年足らずの頃の話。現在でも新作の組踊を書き下ろす芥川賞作家は、実はデビューは小説ではなくて脚本だったのだ。以後、程度の差はあれども、ずっと沖縄の演劇にかかわっていたことは、この本で僕は初めて知った。脚本や演出だけでなく自ら舞台にも立っているし、演出や裏方も多数こなしている。その時代に現場にいた創作者として、また劇評家として、大城さんが実にたくさんのコラム(短文)を残していたのにびっくりした(本書では80ページ近い「沖縄の戦後新劇覚え書き」も収録されているが)。
 コラムはなにより時代の断面を切り取るのに一番適していると僕は思うのだけど、まさにそういった時代の空気が感じられるタッチの文章だ。新劇の盛んな戦後の沖縄なんてイメージがわかない僕くらいの世代でも、充分、タイムストラベルできる内容満載。
 とにかく1950〜60年代の沖縄で、こんなに、いわゆる「沖縄芝居」以外の新劇や商業芝居が行われていたことにびっくりした。ラジオやテレビでもオリジナルの脚本で作品がどんどん放送されていたのだ。

 さて前出の『レッド・ペチコート』は、大城さんが二等をとった時の佳作になった作品である。『沖縄演劇の魅力』ではこう書かれている。  
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2007年07月02日

『造型の彼方』清田政信著ひるぎ社/二十七年目の「少年論」


 梅雨も明けたので、与儀にある県立図書館に、今編集している市場に関する本の資料を借りに行く。久々だ。あの恐ろしい夏の、本気の日差しがまぶしい。駐車場横の木陰には行くあてのない風情でゆくっているおじさんが、ひとり、ふたり。与儀の図書館の周りは、いつ行っても、浮き世とかけ離れた雰囲気が漂っている気がするのはなぜだろうか。僕自身、大学卒業したあと、沖縄の若者らしく失業してこの街でどこにも行き場所がなかった頃によくここに来ていたからかもしれないなぁ。ハロー・ワークの出張所を図書館横に設置したらいいかも……とまぁそういうことは慶良間沖にでもおいといて、さっそく一階の沖縄コーナーへ目当ての本を探す。ここにくればだいたいの沖縄関係の本を目に通すことができる。名護市史のいくつか、那覇市史の改訂版などを抜き出す。そのついでに久々なので、沖縄コーナーを一巡りすることにした。そこで、ふと思いついて文学関係の棚へ。……あった。清田政信『造型の彼方』(ひるぎ社1984)。初めて手にする本だが、ぱらぱらめくって確認する。やはりこれだった。探してた随想が収録されていた。

 僕がその名前を知ったのは、高校三年生の時。沖縄タイムスに載っていた随想を読んだのだ。当時なぜかしらものすごく納得してしまって、クラブの後輩なんかに、新聞にとってもいい随想が載っていたから読んだらいいよ、なんて勧めた記憶がある。どういった内容だったのかはあまり思いだせないくせに、清田政信(きよたまさのぶ)という人が書いたものだということだけは覚えていた。

 彼がどんな人かというと……七十年代から八十年代前半、沖縄は、詩人の時代だった、という印象が僕の中にはあって、あんまり読んでたわけではないのだが、書店の沖縄コーナーでも詩集の点数は目立っていた記憶がある。多分、五十年代、六十年代の沖縄の文学潮流の中心である「琉大文学」の関係者が次々と作品集を発表していたからだろうか。その中の一人である清田政信は、あの目取真俊をして〈学生時代に最も強い印象を受けた〉というほどの詩や評論を発表していた詩人である。沖縄の現代詩、評論関係にはからきし弱い僕でも、この人は別格ではないかと思うくらい、その方面では影響力があったようだ。
 しかしそのエッセイを読んだ当時、僕はもちろん彼がどういう人かまったく知らない高校生だった。
あれから27年たった。さてどんな文章だったのか、それが知りたくてその随想のはじめの頁をめくった。

〈少年とは何か?それは自らの出生から出て他者に出会うための永い感受性の苦しみではないか。彼は思考を集中して存在の核心に到達するには言葉の乾いた抽象力に突きあたっていないし他者を明確な像として成立させるためには内面をとらえる意識がまだ薄弱だ。だが彼は明日の方からおそいかかる世界の不安に対して言葉になる以前の心域を集中することによって、言うなれば全存在をかけて立ち向かっている。この時期の少年の生き方をどのようにその後の生涯につなげていくかによって人の〈生〉は深くもなるし、浅くもなる〉 「少年論」

 あの季節の空気がふわっと蘇った気がする。そうか、この文章は、僕に直接語りかけてきたのだと思ったんだな、僕のことを言っているぞと。少年とその孤独についてこういう風に語りかけてくる文章を、沖縄の人が書き、それが沖縄の新聞に載るものだとはまったく思っていなかったのだ。その時のインパクトがなぜかしらずっと僕の心の片隅に刻印されていたのは、例えば次のような言葉だったかもしれない。  
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2007年06月04日

『十九の春』から『オキナワマイラブ』へのワイディング・ロード

ryuQ100冊・新城和博
 こういう生業をしていると、たまに書評の依頼が飛び込んでくる。沖縄関係の新刊がほとんどだが、ここ数年、沖縄を舞台にしたノン・フィクションが多くなってきた。つい最近も『「十九の春」を探して 〜うたに刻まれたもう一つの戦後史〜』(川井龍介 著/講談社)という本の書評を書いた。あの有名な〈沖縄民謡〉(これは訳あって括弧つきなのだが)の「十九の春」のルーツを探して、琉球弧の島々と人々の記憶を巡るノン・フィクションである。「十九の春」は、実に様々な人がカバーしていることでも知られているが、その本の中に、たくさんのジャケットを並べた写真が挿入されていて、そこである人のお顔を見つけてしまった。おー、若き日の黒川修司さんだ。

 この名前にピンとくる人は、今だとなかなかの沖縄音楽通なのだろう。80年代から90年代の沖縄音楽業界で、レコード・ショップ、ライブ・ハウスの運営、ラジオのDJ、そして地元新人アーティストを発掘したインディーズ・プロダクションなどなどを行ってきたお方だ。沖縄のポップス、ロックがまだまだ商売にならなかったころだから、いろいろ大変だったのだ。

 しかし実は、僕にとって黒川さんは、最初、通っていた高校の前にあったレコード屋のヤマトのにぃにぃであった。普通にお客さんだった僕は、一見おっとりとした育ちの良い顔立ちの黒川さんがどんなにおもしろいことをしていたのかをちゃんと知ったのは、『オキナワ・マイ・ラブ』(ひるぎ社「おきなわ文庫」1987年)を読んでからだ。80年代末に沖縄タイムスで連載していた音楽コラムをまとめたのがこの一冊で、読みやすいが書き手がだいたい学者・研究者が多かった「おきなわ文庫」の中では異彩を放っている。昨今の沖縄をネタにしたサブカルチャー・エッセイのルーツのひとつ。
(一緒に持っている黄色の本は、オキナワン・ブック・レビュー『私の好きな100冊の沖縄』まぶい組編 ボーダーインク刊 1992。この中でも僕は「オキナワ マイ ラブ」のことについて書きました。)  
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2007年05月01日

『泡盛読本』『おきなわキーワードコラムブック』他


 うーん、なんてことだ。カート・ヴォネガットが亡くなってしまった。『猫のゆりかご』『ローズ・ウォーターさん、あなたに神のお恵みを』『スローター・ハウス5』『ガラパゴスの箱舟』など、SF的な仕掛けをもとに、現代世界が抱える絶望を、独自のシニカルなユーモアで切り取りつつ、しかし読者に温かな希望を与え続けたドイツ系アメリカ人の作家であります。日本でもかなり人気のあった人で(ほとんどの作品が翻訳されているし)、初期の村上春樹などにもかなり影響を与えていたはず。僕も彼の作品を読み続けて大人になったクチでありまして、初めて編集した「県産本」に、実は彼の名前にあやかったペンネームをつけてコラムを書いたりしていたのだ。「『加藤ぼねが』って、変な名前。内地の人みたいだけど、よく沖縄のこと知っているね。誰ね?」と言われたりしたなぁ。だれもカート・ヴォネガットをもじったものだとは気がつかなかった。あれから二十年後、大活躍している「加藤ローサ」の愛くるしい姿を見るにつけ、時代がようやくペンネームに追いついた気がした……。カート・ヴォネガット、享年84。うーとぉーとぅ。

 あっ、「沖縄県産本」の話である。前回、僕が「初めて意識して買った沖縄県産本」の話だったので、今回は「初めて編集をした沖縄県産本」について書こうと思っていたのだ。その「加藤ぼねが」を登場させたのが、世界初!まるごと一冊「沖縄そば」だけを語った本『波打つ心の沖縄そば』(まぶい組編 沖縄出版 1987年)である。

 当時、出版社に入社したてだった20代前半の若造にも関わらず、すぐに一冊まるごと編集を任されることになったのにはわけがあった。1980年代の県産本の世界はというと、沖縄タイムス社の金字塔である『沖縄大百科事典』が出版されたり、『青い目が見た大琉球』のニライ社、「おきなわ文庫」のひるぎ社など新しい出版社もぞくぞく登場してきて、多彩な種類の本が出版されるようになった。しかしその中で、地元の若い人が手に取るような郷土本というジャンルはまだなかった。僕が入社した沖縄出版の当時の編集長M氏は、その新しいタイプの郷土本のプランを練っていて、そのための編集グループの名前まで既にあった。それが「まぶい組」である。もちろんあの「まぶやーまぶやー うーてぃくーよー」の「まぶいぐみ」に引っ掛けたネーミングだ。

 僕もまた地元の同世代に向けて、「地元沖縄の文化は、なかなか面白い」ということをうまくアピールする本が作れたら……と漫然と思っていたので、本の編集のことなんか全然知らなかったのに、当時密かにマイ・ブームだった「沖縄そば」の企画を出してみたら、「じゃあさっそくやりなさい」とM編集長はゴーサインを出した。なぜそんなにあっさり企画を任せられたかというと、そこに若い編集者というのが、僕しかいなかったからだ。

 それで若いって恐ろしいですね、やりたいことを何でもかんでもやってしまったのである。沖縄そば食べ歩きイラストルポは、知り合いの初めて原稿を書く大学浪人生だったし、沖縄そばエッセイにはイギリス人塾講師や韓国人留学生に登場してもらい、こだわりのインタビューとして照屋林助さんと泡瀬そばで待ち合わせしたりして。あんなに偉い人とはまったく知らなかった。戦前・戦後の沖縄そば屋のことも実際働いていた方に語ってもらった。極めつけが装丁である。カバーがトレーシング・ペーパーなのである。当時日本の出版界は「ポスト・モダン」ブームでありまして、半透明なカバー・ジャケットの本がよく出ていたのだけど、それをまねっこしたかっのだが、予算がないのでぺらぺらのトレーシング・ペーパーに印刷したわけだ。今手元にこの本があるのだが、二十年後、このようになるのでありました。編集者同様、こんなにぼろぼろになるとは。でも後悔はしていません!  
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2007年04月03日

はじめての『きじむなぁ物語』


 沖縄で、沖縄の本を作り始めて、なんだかんだで20年はたってしまった。あぎぢぇ、改めてそう記すと、僕ってずいぶんベテランなのだなぁ。その年輪の重々しさがまったく身に付いてないのが残念でならない。

 とにかくこれまでたくさんの「沖縄県産本」を編集し出版し増刷し、さらには絶版まで関わってきたわけだが、今回、このコーナーを始めるにあたって、ふと、いち読者として初めて買った沖縄県産本は、なんだっただろうか、と考えてみた。

 高校生、いや大学生の頃だったかな、当時は「沖縄県産本」という言葉はなかったが、街角の書店にも郷土本コーナーは充実していたように思う。もちろん「沖縄」に関する本はぼちぼち読み始めていたのだけども、書店で手にとって、「あっ、これいいな」と思ったのは、『きじむなぁ物語』(船越義彰作/那覇出版社1981年)だった。

 これは地元沖縄を代表する作家である船越義彰さんが書き下ろした、「きじむなー」をテーマにした叙事詩で、「きじむなぁの目を通して見た、戦前のオキナワと戦争中のオキナワ」の物語だ。そう、200頁ちかいこの本は、  
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