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2007年06月04日

『十九の春』から『オキナワマイラブ』へのワイディング・ロード

ryuQ100冊・新城和博
『十九の春』から『オキナワマイラブ』へのワイディング・ロード こういう生業をしていると、たまに書評の依頼が飛び込んでくる。沖縄関係の新刊がほとんどだが、ここ数年、沖縄を舞台にしたノン・フィクションが多くなってきた。つい最近も『「十九の春」を探して 〜うたに刻まれたもう一つの戦後史〜』(川井龍介 著/講談社)という本の書評を書いた。あの有名な〈沖縄民謡〉(これは訳あって括弧つきなのだが)の「十九の春」のルーツを探して、琉球弧の島々と人々の記憶を巡るノン・フィクションである。「十九の春」は、実に様々な人がカバーしていることでも知られているが、その本の中に、たくさんのジャケットを並べた写真が挿入されていて、そこである人のお顔を見つけてしまった。おー、若き日の黒川修司さんだ。

 この名前にピンとくる人は、今だとなかなかの沖縄音楽通なのだろう。80年代から90年代の沖縄音楽業界で、レコード・ショップ、ライブ・ハウスの運営、ラジオのDJ、そして地元新人アーティストを発掘したインディーズ・プロダクションなどなどを行ってきたお方だ。沖縄のポップス、ロックがまだまだ商売にならなかったころだから、いろいろ大変だったのだ。

『十九の春』から『オキナワマイラブ』へのワイディング・ロード しかし実は、僕にとって黒川さんは、最初、通っていた高校の前にあったレコード屋のヤマトのにぃにぃであった。普通にお客さんだった僕は、一見おっとりとした育ちの良い顔立ちの黒川さんがどんなにおもしろいことをしていたのかをちゃんと知ったのは、『オキナワ・マイ・ラブ』(ひるぎ社「おきなわ文庫」1987年)を読んでからだ。80年代末に沖縄タイムスで連載していた音楽コラムをまとめたのがこの一冊で、読みやすいが書き手がだいたい学者・研究者が多かった「おきなわ文庫」の中では異彩を放っている。昨今の沖縄をネタにしたサブカルチャー・エッセイのルーツのひとつ。
(一緒に持っている黄色の本は、オキナワン・ブック・レビュー『私の好きな100冊の沖縄』まぶい組編 ボーダーインク刊 1992。この中でも僕は「オキナワ マイ ラブ」のことについて書きました。)

 復帰前の沖縄に、高校中退後、船でやってきた黒川さんは(当時はパスポートが必要だ)、波之上経由でコザにたどり着く。知り合いのつてで身元引受人となったのは、なんと沖縄音楽の大作曲家・プロデューサーの普久原恒勇さんである。復帰前の沖縄民謡黄金期に、「マルフクレコード」の事務所で居候していたというから、どんなに貴重な体験をしていたことか。例えば最初の「琉球フェスティバル」(1974年)では、ロード・マネージャーという名のトラブル処理係として、嘉手苅林昌さんをはじめとする沖縄民謡界のスーパースターとともにヤマト旅をしている。その旅の際に東京のスタジオで、100曲ほどを一気にレコーディングする嘉手苅林昌の姿を見ているのだ。かと思ったら、ジェームス・ブラウン、レイ・チャールズの沖縄でのライブ・ショーも見てたりするから、これってどーよ。

 また当時、コザではとても珍しかったシンガー・ソングー・ナイチャーだった彼は、何枚かレコードも出していて、その一枚が前出の本の写真にもあった「十九の春」。ギターと歌が黒川修司、バイオリンとプロデュースが普久原恒勇。シングルなので、両面二曲で「一曲三分として六分で録り終わろう」とお座敷スタジオで、結局三十分で録り終えたそうだ。

 内容をさらりと確認しようとして開いた『オキナワ・マイ・ラブ』だが、あまりのおもしろさと懐かしさと切なさに、また全部読み返してしまった。70年代、80年代の、沖縄のロック、ポップスが悪戦苦闘していた時代に、ハート・ビーツ、シオン、ナビー&BOX、そしてちらりと出る六人組など、当時のバンドの夢のかけらが詰まっているではないか。初めて読んだ当時はまだ昨日のことだったのに……多少大人になっていた黒川さんは、若きロックンロール・バンド、ハート・ビーツのメンバーと夜を徹してこう語ったりしている。

〈語り合う夢は? 世界へ!?。せっかくロックというインターナショナルなフィールドにいるのだもの、行こうぜ世界へ。そしてゼニもうけて、沖縄にリゾート施設付きの録音スタジオつくって、世界中のミュージシャンが利用できるようにしよう。〉
〈とにかく沖縄を音楽の島にしよう。ロック産業、金になるんだもの。沖縄のロック、これ重要な産業資源だよナ。才能あるやついっぱいいるもん!〉
 今の沖縄の音楽のある種の成功は、こうした80年代に夢見た沖縄の姿ではある。しかし、なぜかあの頃夢見た未来ではないような……。

 この本の最後に黒川さんは十七年間の沖縄音楽暮らしをやめて、東京へと旅立つ。つまりこの本は、沖縄への惜別の一冊でもあったのだ。十代だった少年が、沖縄でめくるめく官能と地獄の音楽体験をして成長していく姿を読んでいるような感触もわいてくる。
 しかし本の物語は終わっても、僕たちの人生はこの島で続くいていくわけで、今でも、思いがけないところで、黒川さんとは出会ったりするのであるが、これはまた別のお話。
 しかし『オキナワ・マイ・ラブ』、この本を読まずして、沖縄のロック、ポップスを語るな! 食堂のメニューをたくさん注文するナイチャーの話もするな! くらいは言いたいところではある。
(注 個人的には原則的に「ナイチャー」という呼び方、書き方はしないのでありますが、この本の場合、この言葉の響きの方が似合っているので、あえてナイチャー・ナイチャーしてみました)

(文・新城和博)
『十九の春』から『オキナワマイラブ』へのワイディング・ロード
プロフィール:新城和博(しんじょうかずひろ)
沖縄県産本編集者。1963年生まれ、那覇出身。編集者として沖縄の出版社ボーダーインクに勤務しつつ、沖縄関係のコラムをもろもろ執筆。著者に「うっちん党宣言」「道ゆらり」(ボーダーインク刊)など。
ボーダーインクHP:http://www.borderink.com/



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