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2008年08月18日

「バンシルー」食べて「万事を知る」、わきゃないか。(嘉手川学


沖縄の夏は梅雨が明けて以降、イヤが上でも盛り上がり、サンサナー(クマゼミ)は朝から大合唱をして連日熱い一日の始まりを予感させている。今年は5月からずっと雨が少なかったせいか、例年に比べてクマゼミの大合唱が強く大きく長いような気がする。

特にうちのマンションの踊り場前にある木には大量のサンサナーが集合し、一斉に大合唱するものだからそう思えるのかもしれないが、そのうるささといえば「犬が吠えるくらい」に値する90デシベルをゆうに超えていると思える。たぶん。

そんな、サンサナーの大合唱を目覚まし代わりに起きている8月だけど、今月の大きな年中行事といえば旧暦7月13〜15日のお盆である。新暦だと8月13〜15日で今年はくしくも本土の月遅れのお盆と重なっている。ちなみに諸物価高騰で今年の夏休みのレジャーが「安近短」といわれているが、沖縄観光はまだまだ人気が衰えておらず旧盆の時期になれば観光客がウジャウジャいて沖縄中を徘徊しているであろう。そして夜ともなれば偶然目にした県内各地のエイサーを見学するであろう。旧盆の道じゅねーのエイサーは、街中や運動公園と見るエイサーと違い、あの世の人たちをグソー(冥界)へ送り出すための踊りでもある。エイサーに夢中になりすぎてあとをつけているうち、グソーの入り口付近で迷子になることもあるから気をつけたいものである。

ところで食べ物の話である。沖縄では旧盆になるとクヮッチーを食べるが、旧盆のクヮッチーは去年の8月に書いたので、今月は沖縄の果物の話をしよう。

沖縄の果物といえばパイナップルやマンゴー、パパイヤを思い浮かべるかもしれないが、沖縄の一般ピーポーは観光客に比べそれらの果物をあまり食べない。パイナップルは旧盆が終わり、仏壇に供えられた場合に皮を剥いて一口大に切り砂糖で煮て食べることはあるが、何しろボクが子供のころは仏壇に飾られるパイナップルは完熟ではないので酸味が強く、生ではとても食べられなかったのである。最近では完熟パイナップルも出回るようになったが、それでも買うことはなく、たまにやんばる方面にドライブしたとき、道の駅やJAの青果売り場、沿道の特産品売り場などで安いときに買うことはあるが、パイナップルの生食は習慣付いていない。

それから県産マンゴー。沖縄のマンゴーは確かに美味しい。できればマンゴーを大量に買い込んで、食べる数時間前に冷蔵庫で冷やして食べたいと夢想するけれど、いかんせん県産マンゴーは庶民には高すぎて手が出せず、買ってまで食べないのである。ところで、マンゴーといえば…   
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2008年08月11日

厳選・沖縄音楽(8月号)「ナナサンマル音頭」「マリー」編


また今回もレアな2枚のシングルを紹介しましょう。

「ナナサンマル音頭」歌・屋良ファミリーズ
(音工レコードEOO-002 1978)


2008年7月30日、夜。東京の友人から電話があった。
「今日ナナサンマルだね、今ナナサンマル音頭を聞いているの」そうだ、朝までは覚えていたが、忘れてしまっていた。あの交通方法の変更から30年が経ったのだ。

さて、私の手元には当時の琉球新報の夕刊がある。1面トップに「7・30大荒れのスタート」とし、写真は前日の前日と当日の58号線泊港務所(現在のトマリン)付近の一夜にして逆流になっている車の群れの写真を上下に並べている。そういえば、私はといえば、その日久茂地交差点にて交通量調査のアルバイトをしていたのだ。目の前の車が次々と接触事故を起こした、文字通り大荒れのスタートの目撃者となっていた。

バス事故が相次ぐとの記事に、当時の斉藤隆県警本部長は、いちがいに7・30に関係あるかどうかについては言えない、としている。目撃者として証言させてもらえば、7・30と大いに関係あるのだ。沖縄タイムスの朝刊には“交通革命”けさ突入 強いられた「本土化」との見出し。

その頃ラジオから屋良ファミリーズ歌う「ナナサンマル音頭」がよく流れていた記憶がある。そして沖縄音楽が沖縄内で元気をなくしていったのがまさにその頃であった。そういう意味でもこの音源は歴史的なレコードかもしれない。東京のわが友人は「あれはビギンの***という曲に似とるぞ」とも言っていた。


「狂い咲きライラック」歌・マリー
(CBSソニー 07SH-921 1981)


マリーの人気の絶頂は79年だと記憶している。金武のキャンプハンセンの向かいの米軍のバー街のライブハウス・メデューサ(確かそうであったと記憶する)にて、海兵隊相手にハードロックをうならせ、舞台に追い縋るでかくて筋肉りゅうりゅうたる若い兵隊達を皮のパンタロンにハイヒールで蹴散らす姿は格好よく、すがすがしく見えたものだった。

そのマリーがメジャーデビューするという。悪い予感がした。沖縄ロックファンとしては。というのも、当時、喜納昌吉、知名定男、紫そしてコンディショングリーンなどの実力者たちが次々にメジャーに跳ね返されていた。

そして、阿木耀子、筒美京平の黄金コンビでソニーからそのレコードは発売された。やはり我々には消化不良であった。マリーらしさというものが微塵も感じ得ることができなかったから。私の中で永い間封印していたレコードだ。   
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2008年08月04日

「沖縄のラジオの本、いまむかし」(新城和博)


何度かコラムで書いたことがあるが、僕が沖縄の出版に携わってやりたかったことのひとつは、ラジオの本を出すことだった。その昔、TBSラジオの深夜番組「パック・イン・ミュージック」でリスナーからの手紙をまとめた本「もうひとつの別の広場」というシリーズがあって、コツコツ買いそろえていた学生時代を過ごした僕にとって、そのスタイルのラジオ本はあこがれであった。その夢が叶ったのは、1991年に編集した、多喜ひろみ・FM沖縄編の『ハッピーアイランドの本』(ボーダーインク刊)である。


ラジオのリクエスト・お便りが、葉書、電話からFAXへと移行する頃で、お昼の番組である「ハッピーアイランド」はいちはやくFAXによるお便りを受け付けた番組だった。FM沖縄アナウンサーの多喜ひろみさんの柔らかな声で紹介されるリスナーからのお便りの内容は実に様々で、きわめて沖縄っぽくて、でもどこか洒落たセンスもあって、一冊の本としてまとめたら、絶対おもしろいはずだと確信していた。帯の文句はこうだ。
〈ビーチパーティ好きなOLの方に 夢のような恋に悩むおじさんの方に もあいの翌日の会社員の方に 昼間ひとりぼっちの従業員の方に 遠く沖縄から離れた友人の方に 毎日キラキラしている主婦の方に〉

沖縄の人は手紙を書かない、文章ベタだなんていわれていたのだが、ことラジオのお便りに限っていえば、大変筆まめなのである。FAXという通信方法も沖縄の人に合っていたかもしれない。おばぁ・おじぃネタ、イーバッペー(言い間違い)ネタ、方言ネタ、恋人・夫婦ネタ、そして子どもネタと、その後、「沖縄はおもしろい」的な本がたくさん出たのだが、そのルーツ本のひとつではないだろうかと、個人的には思っている。結局、「ハッピーアイランドの本」は、1万部に達するベスセラーになり、3、4年ごとにまとめるシリーズとなった。

あれから月日は流れて、2008年の今年8月、『ハッピーアイランドの本8』を出版した。番組は、その後、沖縄県内の聴取率ナンバー1をずっとキープし続けている。多喜さんの癒しトークもそのまま。しかし、寄せられるお便りのほとんどは、Eメールとなり、FAX、葉書で寄せられるものはごくわずかになった。ローカルのラジオ番組の本がこんな長期にわたって刊行されるているのは大変珍しいだろう。帯の文句はこんな感じ。
〈シルバーエイジからベビーまで幸せ広がる第八弾〉

そう、この年月の間にリスナーは三世代にわたるようになったのだ。銀色のジャケットを眺めている僕も、しっかりと老眼が入っているのであった。   
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2008年07月28日

「沖縄のカタチ・おまじない」(比嘉淳子)


あれは、5年前になるだろうか。
沖縄の冬特有の強風「ニンガチカジマーイ」の吹く日、新築したばかりの家でぬくぬくとコタツでみかんを前にして幸せなひと時を過ごしていた。
コツっと、何やらガラスに当る音がする。
体を起こして音のほうへ視線をむけると、鳥がガラス戸に当っては落ち、当っては落ちを繰り返している。哀れに思いガラス戸を開けるとその鳥が勢いよく部屋に侵入してきた。

子ども達は大喜び。しかし、年寄りは大騒ぎになった。
「スーサーだ。厄だ!厄がいっちょーん!(「厄が家に入ってきた!」という意味)」
スーサーとは「ヒヨドリ」のこと。
スーサーは庭のギャングといわれ、みかん、ピーマン、毛虫だろうが何でも食べてしまう。スーサーがいる庭には他の鳥が住み着かないといわれるほど貪欲な鳥である。そのスーサー、後になって知ったのだが、「大厄」を運ぶ地獄の使者として嫌われているという。

すぐさま私は「スーサーによって穢れた女」のレッテルを貼られ海へ連行された。
真冬の荒波に身を任せ、スーサーが運んできた「大厄」を海に流し身を清める、というのだ。いわば「簡易禊」(みそぎ)である。
到着した海は「波の上海岸」。
学生時代のテリトリーで、甘酸っぱい思ひ出で胸キュンな海。なのに、何の因果でこの真冬に立っているのだろうか。
家族は暖かい車内から私の様子を(面白がりながら)伺っている。
ええいっ!ここで「入水」しなけりゃ女がすたる。「オンドリャ〜!」っと足を突っ込んだ。
南国の海とはいえ、季節は冬。みるみるピンク色だった足は紫色になり、心臓がいったん止まった。(ような気がした。)

「ナニをしているんですか!!」
振り向くと、一見して観光客だとわかる上品なご夫婦が私に向かって走ってくる。
「何があったかは知らないが、必ずいい事は来るもんだよ」と、初老の紳士。
傍らのご婦人がピンク色のストールをかけてくれた。
「ジバンシーだ。」

全然関係のない事を考えている私に、一生懸命になって人生のすばらしさを語ってくれたあの時の方、その節はお世話になりました。
イロイロあって「入水」しましたが、アレは「おまじない」だったんです。

「禊」が不成立だったせいか、その年の夏、信号待ちをしている私の後方から車が突っ込んできたというオマケがあった事を付け加えよう。

以来、「厄払い」という言葉に異常に反応を示す体質になり、我が家を包囲するよう「厄を祓う植物」と「福をたらふくもたらせる植物」をわんさか植え、何とか今日に至っている。

今回に限り「厄を祓う植物」をご紹介しよう。
「やつで」という植物。別名「テングノウチワ」。“八手(ヤツデ)”の由来は指がいっぱいあるようだ、というところから。

よくパキラに間違われるが、「ウコギ科」の常緑植物で、暖かいところの海の近くを好むが沖縄の太陽では葉焼けを起こしやすいので我が家では裏戸の軒下に鉢植えで置いている。
「魔よけの専門家」に聞けば、どうやら玄関脇に植えたほうがご利益はあるらしい。

しかし、我が家の玄関には“植物界のセコム”といわれる「観音竹」が私の肥培管理の元スクスク育っているから割り込む隙がない。そう、玄関には泥棒よけに「観音竹」が活躍する。
怪しいものが近づくと人の姿に化けて追い返すそうだ。

門の脇には「モクビャッコウ」石敢当の代用に植えてある。
宮古島の友人から門には「くちなし」がいい「口難を解くから」と勧められたが、あれは蚊が好む植物で、しかも、先の“魔よけの専門家”に言わせれば「子どもが家業を継承しなくなる」と聞いて止めた。別に大した家柄ではないが、我が家の子ども達はこの家をこよなく愛しているので、子ども達の夢に1票。で、その代わり「桃の木」を「百百(もも)=百代までも」にちなんで植えたのだ。

ザッと挙げただけでもなかなか意味深い。
私には見えない世界だけれど、ヤナムンの目からは「有刺鉄線包囲の家」に見えているのだろうか…   
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