2008年04月14日
ryuQ100歌4月号『奄美しまうた名盤特集』

今回は奄美アルバム3枚を取り上げてみました。奇跡の喉とか地上で最も優しい声とか言われて、最近注目をあびる奄美音楽=しまうた。ここに挙げる3枚は奄美のしまうたの原風景が詰まっている。
*奄美大島民謡・南政五郎傑作集(セントラル楽器 0-27)
奄美島唄の第一人者・南政五郎(1899〜1985)のアルバムを何時手に入れたのか記憶にない。何年もレコード棚にしまっておいて、ある日、こんなレコードもあったっけ、と針を落として凄いと感じたのは90年代に入ってからであった。何が凄いか、その悠長な節回しには、やはり時代の重さをその吐息から感じることができるということか。戦後の奄美群島の日本復帰(1953)以前に島々を歌い歩いて、島人のアイデンティティ深め、第一人者としての名声を得たが、初レコーディングは10年後。このアルバムはそれから10年後の氏が75歳のとき。前回の録音に新録5曲を加えてのLP盤は聴きごたえ十分だ。
*奄美民謡・坪山豊名演集(マーキュリーレコード JL-813)
奄美民謡ファンで坪山豊の名前を知らない人はいないだろう。あの有名な「ワイド節」が氏の作曲ということを知っている人は沖縄では少ないかもしれない。その坪山氏が伝統船建造術保持者としてはどうだろうか。ライナーノーツによると、幼少時から三線になじんで育ったが、民謡界へのデビューは42歳を過ぎてからであるという。1972年9月に開催された「実況録音奄美民謡大会」に友人のすすめで出場したのが初舞台。翌年には「坪山豊傑作集」なるアルバムもプレスされてその名が広く知られるようになった。1980年に名瀬市での「第一回奄美民謡大賞」にて大賞を受賞して、坪山節の完成を印象付けたという。その直後のアルバムがそれだ。ワイド節が初々しい。
*奄美民謡・武下和平傑作集(セントラル楽器 0-32)
坪山豊が遅咲きなら武下和平は早くから頭角をあらわした。16歳で初舞台を踏み、26歳の時には東京にて文部省主催の「芸術祭民俗芸能大会」に出演。その翌年にはファーストアルバムを出している。土着の響きの坪山節に対して華麗な武下節はほんの少し前の両横綱だった。貴島康男や元ちとせなどの若手の出現により、奄美民謡が全国的に知られるようなったが、今の若手のうたしゃ達の出発地点であり、目標が武下和平であり、坪山豊である。もちろん CDのデジタル音源も多数出回っているが、当時のレコードで聴くのも一興というもの。
●小浜 司の『ryuQ100歌』バックナンバー:
http://ryuq100.ti-da.net/c73392.html

筆者プロフィール:小浜 司(こはま つかさ)
沖縄県国頭郡本部町出身。幼少期を那覇市で過ごし、中学以降宜野湾市に遊ぶ。大学卒業後ヤマトへ。季節工などの底辺労働に従事しながら、アメリカ、東南アジア、中国、アラブの国々を旅する。沖縄に帰り、クリーニング屋の経営をしながら大城美佐子や嘉手苅林昌のリサイタルなどをプロデュース。「風狂歌人」(嘉手苅林昌)や「絹糸声」(大城美佐子)など沖縄音楽CDを多数製作。2002年、国際通りに島唄カフェまるみかなーを開く。2004年沖縄音楽デジタル販売協同組合に参画しインターネット三線教室を始める。2006年、拠点を壺宮通り(那覇市寄宮)移し、島唄カフェいーやーぐゎーを開店。沖縄音楽の音源や映像の楽しめる店として好評を博している。
島唄カフェいーやーぐゎーHP:http://www.ryucom.ne.jp/users/iyagwa/
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